愛なき浜辺に新しい波が打ち寄せる
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2017年06月10日(土) 月の明るい夜だった

 小学校何年生の頃だったか、母と私が、父に家を追い出されて、夜道をとぼとぼ歩いていたとき。母が、私に、
「お父さんとお母さんが別れるとしたら、どっちについてくる?」
 って聞いたんです。父に家を追い出されるのは、珍しいことじゃなかった。「お前ら邪魔だから出てけ」ってのは、私が小さい頃は時々ありました。私が赤ちゃんのときは、よくあったと母から聞きました。赤ちゃんだった私が泣くと、「うるさい!泣かせるな!」って怒られて、母は、私をおんぶして、夜道を散歩していたそうです。父は、すぐ怒る人だった。そして、すぐ殴る。しつけじゃなくて、機嫌が悪いと叩くんです。パチンコに負けたとか、巨人が負けたとか、そういうときは機嫌が悪くて、「お前の目つきが気にいらん」とかいうのを理由に、頭やほっぺたを叩くんです。痛くて怖くて、小さい頃の私は、いつも父親の顔色をうかがっていた。父は、母のことは殴りませんでした。暴言は吐きまくるし、生活費を入れなかったり、生活費でパチンコしたり、仕事を転々とし、借金したり、飲酒運転で事故起こしたり、色んなことして母に迷惑かけたんだけど、母のことは殴らなかった。それは、結婚するときに、「暴力ふるったら別れる」って、母が父に言ったからみたいなんです。母に手を上げなくても、行い悪すぎでしょ。だから、離婚の話は何回も出たんですよ。したら、父は、「別れるんやったら、お前も子供も殺す。お前の父親も母親も兄弟も全部殺す。皆殺しや!」って大騒ぎするんですよ。笑えますよね。って笑いごとかって話ですけど。大馬鹿者ですよ。結局、消費者金融で二回借金して、「次に借金したら別れる」って母に言われて、でも、また借金しちゃったんですよね。お金は全部パチンコに使いました。そんで、死を選んだの。ほんとう、父は母と絶対に別れたくなかったんだなーと。それで話を戻しますけど、母が私に、父と母のどちらを選ぶのか聞いたとき、私は、
「そんなん、お母さんに決まってるやん。でも、お父さんとお母さんが離れるのは嫌や」
 って言ったんです。別れないでほしかったんでしょうね、そのときはね。でも、そう言ったことを、後々後悔することになる。あのとき、「お母さんのしたいようにしたらええ」と言えたらよかったと思うことになる。というのは、それ以後、母は、「あんたのために、お母さんはお父さんと別れん」「あんなんでも、あんたのお父さんやから」って言うようになったからです。これはね、子供にとって、あんまりよくない。子供のために、っていうのは、本心からだろうけど、言わない方がいい。だって、言われた方はね、そうなんだー私のためにありがとうー、とはならない。私のせいでごめんなさい、ってなる。私がいなければ、私さえいなければ、母親は自由になれるのか、って思うようになる。「あなたのために」が、「お前のせいで」にも聞こえてくる。母親が不幸なのは私のせいなんだな、って思ってました。恨みを覚えた頃もありました。離婚しないんじゃなくて、できないんだろって。離婚できないのを、私のせいにしないでよって。どうして、子供を理由にするの。「お母さんは、それでもお父さんを好きだから、別れたくないんや」って言ってくれたら、それはそれで腹立つけど、「あなたのために」よりはずっとマシだった。だから、お母さんが別れたくないから別れない、って言ってほしかったって思いがあったんですけど、今はもうありません。母は、辛くても苦しくても、子供のために、っていうのでなんとか踏ん張ってきたんですよね。それで、父のことを好きだったんですよね。死んで何年か経ってから、母は、「あんたにとっては、いいお父さんじゃなかったかもしれんけど、私にとっては、旦那さんやからね」って言ってました。そのとき、母が父をなんやかんやで好きだったってことがしみじみ分かりました。だからって、心温まったりはしなかったんですけど。夫婦ってよく分かんないな、って思いました。皆殺しとか言ってた父は、たった一人で死んでった。私や母を道連れにしないでくれて本当によかったという思い。父は、最後は一人でどんな気持ちだったのだろう。
 「子供のために別れない」って言う親もいれば、「子供のために別れる」って言う親もいますよね。実際問題、それが一番だったとしても、それを子供自身にぶつけるのはよくないと思う。相手が子供に限らずですけど。誰かのためにって思いを自分の心の支えにするのはいいけど、相手にぶつけるのは間違ってる。加藤先生が、「あなたの幸せが私の幸せ」なんて、愛の仮面を被ったサディストの言うことだって言ってたよ。


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