| 2006年10月03日(火) |
ひとかげ(byよしもとばなな) |
これを書いているのは10月7日のハナシ。 よしもとばななさんの新刊『ひとかげ』を読んだ。 10年以上前に出た『とかげ』のリメイク版。作者本人が前書きで書いている ように、賛否両論あるかもしれないが、私は『ひとかげ』の方がずっと好き。 それが読後いちばんの感想だった。
登場人物である“とかげ”も、主人公の“私”も、前に『とかげ』という小説 を読んだときよりも自然に、するっと私の中に入ってきて、もっとずっと この人たちを理解できる。この心の闇とか、すごくよくわかる感じがする。 という風に思わせた。
基本的に、人は人と接しなくては生きづらくなってくる。って本当のことだ。 でも、接しすぎても生きづらくなってくる。 その辺りのバランスというのが本当にむずかしい、というのは私の持論だが。
そして主人公であるところの“私”が、自分の仕事をしてきた10年間を 振り返って、 「何もつかまず、何もできなかったような、そしてつらいものをたくさん 見てもたまに起きる奇跡でそんなことは帳消しになる、そんな十年間だった」 と語るが、それは私も、本当にそうだなあ! と思う。 私の、会社に入ってからの10年間ってそういうものだったと思うのだ。 11年目からは少し変わった。もっと楽しむような気持ちになってきた。 そういう風に変わったのは、自分にとっていいことだったんじゃないかとも、 思う。
「同じ傷の匂いを嫌がるか、そこにしか共感できないか」というのもすごく わかる。子供が、より一層そういうのに敏感だということも。
そして私はいつも、ばななさんの“恋”というものについての描写を読んだ とき、毎回はっとさせられるのだが。 そう! まさにそれ。その気持ち。と思ってしまうのだ。 あの描写の力、比喩の力というのは、本人の努力も勿論あるのだろうけれど、 まさに天賦の才だな! とまで思う。
主人公の“私”が、とかげに対して思う、「かぎりないストイックさの中から もれてしまう生命の力の美しさ」というものについても。 そういうの、私も見た。 これは勝手な共感だが、真剣にそう思った。
とかげが言う、 「中にあるものを外に向かって押し出さないと、きっと私の乾きは癒されない」 という言葉も。 そうなんだよね。と思った。 私も、それがくだらなくても何でも、何かを書くことで自分を保っているからだ。
恋しちゃった相手に対しての、「本当は、ただ抱きしめたくて、 さわりたくて、キスしたくて、少しでも近くに行きたくてたまらなくて、 一方的にでもなんでも、涙が出るほどで、今すぐ、その人とだけ、その人 じゃないとだめ」って、まさにその通り! 涙でる! って感じだ。笑 それこそが恋だよね。って本当に思う。
それから、帯にも載せてある、「私の聖堂を、取りもどさなくては。」 というとかげの言葉。 私の聖堂…。私自身の聖堂ってなんだろう? と一瞬考えた。 とかげは、そこにはだれもいないと言う。 では私は? 私だけしかいないのか? 他の誰かいるのか? 孤独か? そうじゃないのか?
そして、とかげの告白の中にある、 「お父さんが抱きしめてくれたことで魂が自分から離れそうだったのが、 ぎゅっとおさまった。人は人に力をかすことができる。」 というのに、とても、うまく言えないけれどとても、私は衝撃を受けた。 発作的に涙が出たくらいだ。私がこういう内面に迫る何かを読んだときに いつも思わず泣いてしまうというのを差し置いても。いつもそんなんばっかり だけど、いつよりもつよく、本当にそうだと思った。 そしてそういう力を貸してくれる特別な誰かが欲しいと思ったのかもしれない と思う。たぶん自分に足りないのはそれだと、痛感したんだと思う。
時間が偉大だというのもよくわかる。 いつもそうだが、Y先輩も言っていたことだが、ばななさんの新刊が出る度に その時の自分の精神状況に合いすぎて、いったいなんだろうと思う。 でもそれも、ひとつの縁とか、相性みたいなものかもしんないし。
読み終わって、何か心に淡い希望が残った。 そういうのが私はいちばんいい。私が小説や音楽に求めることってそういうこと だなあ! とも思い、今読むことができてよかった。と、思った。
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