| 2005年12月31日(土) |
近代文明の流れの中で思うこと |
今日で日々の映像の記述は000回目(365日×9年)となった。自分ながら1日も休まずよく書き続けられたと思っている。文章は一定の文明論的な視点を持っていなければ書き続けることが出来ない。日々の映像を書き始める数年前、近代文明の根幹にあたる文章に会う。20世紀最大の歴史家といわれるトインビー博士の説明であった。 「人間は宗教や哲学なしには生きていけないと信じています。宗教・哲学という2つの観念形態の間は明確な区別はありません。・・・17世紀におけるキリスト教の後退によって西洋に生じた空白は、3つの宗教の台頭によって埋められました。その一つは、技術に対する科学の組織的応用から生まれる進歩の必然性への信仰であり、もう一つはナショナリズム(国家主義)であり、他の一つが共産主義です」(21世紀の対話:潮出版社から) 私なりに補足を加えると次の通りである。 1、共産主義という行動様式そのものが広い意味では宗教なのである。共産主義に対し資本主義も一つの宗教である。 2、資本主義に対し上記の通り技術重視主義も立派な宗教である。 3、ナショナリズム(国家主義)は、ここで補足するまでもない。ナショナリズムは小さく言うと、地域社会における人間の集団力を信仰対象とするものだ。強固な官僚組織を人生のよりどころとする人にとっては、官僚組織という集団が信仰の対象なのである。大会社を一生のよりどころとしている人にとっては、会社という集団が一つの信仰の対象なのである。 4、総ての人はなんらかの宗教(その人の基本となるもの)・哲学(物事の基本的な考え方)を持っている。この内容に付いて意見交換することは意味があるのである。 5、日々の映像は社会の出来事に対して、私の哲学(基本的な考え方・捉え方)に基づいて記述したものである。よって、異なる見解があって当然なのである。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 癒しの森872 2005年12月31日
2003年8月13日からの癒しの森
2003年8月13日から書き始めた癒しの森は今日で872回目となった。健康に恵まれて、1日も休まず書き続けることが出来たことに新たな感慨がある。今日は、2003年8月13日に書いた序文である「癒しの森を初めて読む方へ」の一部を引用させて頂く。 「1997年1月から、日々の映像と題して日々の出来事を題材とするエッセイを毎日1枚書いて来た。社会の出来事がテーマになるので、その内容は重くなることは避けられなかった。このたびエンピツを使って、ページを開くに当たって、「癒しの森」と題する短文エッセイを挿入して行きたい。・・・記述内容の中心は文化的なものになっていくと思っている。・・・私が理解している範囲を記述させていただけば、文化とは人を理解することだと思っている。短く表現すれば、素敵な人を、努力の人を、偉大な人を理解することは、その人の持っている文化が自身に流れてくるからである。人を理解する・・これに勝る心の癒しはないと思う。日本には輝く生き方をしている人が実に多いと思う。もとより、これら努力の人、芸術の人の真似などは出来るものではない。しかし、素晴らしいことは素晴らしいと讃嘆する文化が絶対必要だと思っている。素晴らしいことを讃える姿勢が、自身の心の癒しとなると思う。・・」
・それぞれの 人の文化を 理解する そこに生まれる 癒しの世界 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 近代文明の流れの中で思うことの加筆 6、アメリカの自動車メーカー(どちらかとば資本主義にウエートがある)がトヨタ・ホンダ(技術主義に圧倒的なウエートがある)の前に敗北しようとしている。これは技術主義という宗教「宗(むね)の教(おしえ)」が資本主義という宗教より優っていることを示している。
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