『日々の映像』

2002年01月31日(木) 余  録

 元日からEC15カ国の内12カ国で単一通貨ユーロが流通することになった。この12カ国は、独・仏・伊・スペイン・ベルギー・ルクセンブルグ・オランダ・オーストリア・ポルトガル・フィンランド・アイルランド・ギリシャである。

 「市場に出回るユーロ現金は、紙幣が7種類、硬貨が8種。総額6487億ユーロ(約75兆2000億円)に達し、史上最大の通貨転換となる。」(1月9日 日経から)2月末には、マルク・フランなどの貨幣が総てユーロに100%変わるというから、数百年に1回あるかどうかの歴史的な出来事である。ユーロ未加盟の英国やスウェーデンの小売業界がユーロの現金受け入れを表明しているので、このユーロという新紙幣は、12カ国以外の国にも流通する。
 
 日本の観光客は、今までEC内を移動する都度両替する必要があったが、これが全く必要なくなる。また、この13カ国の価格がユーロ一本になるので、日本からの輸出面での簡素化は大変なものだろう。なにしろ、このユーロ圏の人々は「約3億人、域内総生産(GDP)でも米国に匹敵する規模のユーロ経済圏が名実ともに誕生する」(引用同)よって、世界の通貨の主役は、ドルとユーロになる。
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 1月7日、円資金のドルへの流出のテーマを記述した。日銀がゼロ金利として、大衆に膨大な負担を求めたわけであるが、この金利政策で景気は上昇しないことがはっきりした。最後は、円預金を持っている個人がどう動くかによって、日銀のゼロ金利政策を変えざるを得ない時期が来るように思う。

 1月7日に「7〜9月の個人の対外証券投資額が1兆1600億円」に達したことを記述した。この個人の円預金がどれだけ、ドルまたはユーロに変わっていくかである。日本の預金者はゼロ金利でも黙って円預金を持ち続けるのだろうか。

 大衆が円預金を持ち続けるのであれば、今後も永続的にゼロ金利が続くと思う。反面、10兆円単位の円預金が、ドル又はユーロ預金の流出するようになった時、政府・日銀のゼロ金利政策がどうにか変更されていくのだろう。
     
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 1月5日、米企業の時価総額の上位10社を記述した。このトップは、時価総額が3982億ドル(51兆円)のGEである。信じられないような株式の時価総額だ。1月18日の日経で、このGEの売上と利益が報道されていた。これによると2001年通期決算は、売上1259億ドル(16兆円)最終利益は、前年比7%増の136億ドル(1兆7700億円)だ。GEは、アメリカ企業の強さの象徴だ。
      
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 1月17日に脳梗塞小さいうちに見つけ出せ!と題して記述した。新聞は健康に関するさまざまなテーマを掲載する。毎日新聞は1月7日から「スタイルも体調も」と題して新・筋肉講座が掲載されていた。

 この連載を読んで1997年11月3日に「心の動きと生命の暗号」と題して記述したことをまざまざと思い出した。この記述は、日本の遺伝子工学の第一人者と言われる村上和雄筑波大教授の著書「生命の暗号」の解説を参考に記述した。

 詳しくは省略するが1つだけポイントを引用すると「人間の体は約60兆個の細胞から出来ており、1日のうち約1兆個の細胞が死に、同じく1兆個の細胞が生まれる」というものだった。
 
 新・筋肉学講座(健康体力研究所顧問野沢秀雄氏)で細胞の入れ替えを次のように説明していた。「細胞が入れ替わるスピードは、身体の部位によって違います。血液成分や肝臓細胞は約10日で半分が新しくなります。心臓や肺は20日、胃腸は30日、脂肪は50日、骨は200日と言われており・・・」(1月17日 毎日)血液成分や肝臓細胞がわずか10日で半分が新しくなるとは知らなかった。

 この記述を読んで、1日のうち1兆個の細胞が死に、同じく1兆個の細胞が生まれるとの説明がどうにか頭の中に収まった。
   
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 1月18日アメリカの対テロ戦争と題して、国防予算(3800億ドル・約51兆円)のことを記述した。1月21〜22日にかけて、アフガニスタン復興支援国際会議のことが大きく取り上げられていた。
 
 各国の支援総額は1年目で18億ドル(アメリカの国防予算の1000分の5)となった。日本は2年半で5億ドル(650億円)アメリカは、1年1億9675万ドル(225億円)であった。アメリカの3800億ドルの国防予算から比べると、約2億ドルの支援は少ない。
 
 アフガニスタン暫定政府は、この18億ドル(2340億円)が国家予算のようなものである。これだけのお金で、戦争と旱魃で疲弊し切ったこの国の再建ができるのだろうか。
     
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 イスラエルのパレスチナ自治区への進攻の報道が続いている。イスラエルの立場は、テロに対する報復行動になる。2日前は、パレスチナの放送局が爆破された。1月22日現在ではパレスチナ自治区の都市全域が占領され、アラファト議長は事実上の軟禁状態となっている。

 この状態でなお同議長は「イスラエルに対する国際社会、特に米の圧力が必要だ」(1月22日 毎日から)といっている。テロを容認して来た同議長の話はどこかおかしい。

     余        録 2                      
 1月2日、昨年の離婚件数の推定値が28万9000件になったことを記述した。この離婚に関すること、又は類似したテーマを97年日々の映像を書き始めてから、毎年のように取り上げて来た。今日(1月5日)は、休日でもあるし、1枚または2枚という紙幅の制限をしないで、このテーマを記述してみたい。

 本題に入る前に離婚に至るベースとして、夫婦間のコミュニケーションがなぜ保てないのかを考えてみたい。下記は、1998年3月8日に記述した。

「なぜコミュニケーションが保てない」からの引用である。・・・今日は、日曜日ですがすがしい晴天であった。人と人との関係は、いつもこのような晴天という訳にはいかない。

 昨日考えさせられる記事を読む。家庭内における夫の暴力である。「東京都の調査は、昨年夏に実施されたが、夫や恋人による殴るなどの身体的暴力があったという回答は15%。『立ち上がれなくなるまで暴力を何度も受けた』という深刻なケースも1%あった。

 1%という数字は、都の成人女性の人口に当てはめると、2万3000人に当たり、深刻に受け止めていると検討にはいった」(1998年3月7日朝日から)というものだ。
 
 立ち上がれなくなるまで暴力を受けた人が東京都だけでも、2万3000人であれば、統計的には全国で23万人余りと推定される。身体的暴力を受けたという人が、15%であれば、人数になおすと東京都だけでも約30万人である。全国の推定では約300万人の女性が体的暴力を受けていることになる。

 暴力を振る夫が悪いのか、そのような状態を作り出す妻が悪いのか、そのベースは2人の間でコミュニケーションが保たれていないことに起因していると思う。なぜ、コミュニケーションが保たれないのだろう。

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 昨日、上山市のホテル古窯のオーナーである佐藤幸子著の「からっぽの金庫から」を読み終えた。このホテルの社訓は次のとおりであった。   
   

      争いよりは友情を
      非難よりは理解を
      愚痴よりは建設を

 社内のコミュニケーションを重要視する社訓であると受け止めた。
 今年1月18日に飯田国彦氏の講演のことを記述した。同氏から「やる気を引き出すマネジメント」というリポートが送られてきた。

 このリポートの一部を引用したい。「コミュニケーションにおける最大の障害は、性格や思想の違いでなく、人の持つ評価傾向にある」という。私なりに補足すると、妻が自分の身につけている常識で夫を評価し、夫も同じく自分の人生観や常識で妻を評価する。このようにお互いに評価する傾向をもつとコミュニケーションは破壊されていくのである。  
 
 暴力と言う結果には、必ず原因があると思う。なぜ争いが起こるか、なぜ非難しあわなければならないのか、飯田氏の指摘のとおり「自分の持つ常識で相手を評価する傾向(習性)」であると思う。実は、この常識が怪しいのである。・・・・(98年3月8日 日々の映像から)
 
 98年3月8日の日々の映像では、「この常識が怪しいのである」としてペンを置いた。今日は、この常識について多少加筆したい。アインシュタインは常識について次のように言っている。

 「常識とは18歳以前に沈殿して積もりに積もった偏見以上の何物でもない。その後に出会うどんな考えも、この常識という概念と戦わなければならない」

 人間は、アインシュタインが指摘するように、ある一定の年齢でそれなりの常識が固まると、より深い認識・考えなどを受け付けない習性があるように思う。よって、同氏は、「常識とは18歳以前に積もりに積もった偏見以上の何物でもない」と切り捨てている。なお、偏見を辞書で確認すると、「偏った見方や考えかた」と出ている。
 
 さて、前段で書いた「自分の持つ常識で相手を評価する傾向(習性)がコミュニケーションを計る上で、最大の障害になっていると書いた。これもアインシュタインの偏見に当てはめれば「自分の持つ偏見で相手を評価する傾向(習性)」となる。

 夫婦の間で、これがもろに出てくれば、コミュニケーションが保てないどころか、離婚まで発表することになると思う。大切なことは、人生万般の知識や物事の認識方法を深めていくことだろう。
 
 さて、これらを深めていけば、離婚は少なくなるのだろうか。もっと深い次元で離婚の原因があるのではないかと思い1998年4月5日に「別れ(離婚)のメカニズム」と題し記述した。ここでは、この日書いた大半を引用したい                                      
「・・・今日は晴天であった。桜の満開の時を迎えて、花見を楽しむ家族連れやグループが、多く繰り出していることであろう。一見平和な社会の片隅で、今日も何万人もの夫婦が血走った目と目で睨み合い、罵倒しあっているのだろう。
 
 アメリカなどから比較すれば、少ないと言いながらも97年も22万5000組の夫婦が離婚した。この離婚にも1997年2月3日に記述した自殺者と同じ統計的な背景があるような気がする。この2月3日に引用したポイントは「自殺を実行し、目的を果たしたが2万3000人で、自殺を試みて失敗した人たちが10万人あまりいる。」ことであった。

 この離婚も目的を果たした夫婦が22万5000組で、離婚をこころみたが周囲の説得あるいは子供のために踏みとどまった夫婦がどれほどいるのだろう。離婚を決行したカップルの2倍(44万組)なのか、3倍(67万組)なのか、いや、もっと多いと思う人もいるかも知れない。

 離婚したいとはいわないが、潜在的に出来るものなら離婚したいと思っている夫婦がどれだけいるのだろう。

 半年前のことである。少々お世話になっている会社の50歳代の方と少々懇談する機会があった。A子さんの次の言葉に驚いた。「これから毎日主人が家にいると思うとゾッとする」と語気鋭く言い放った。
 
 これは定年離婚の予備軍ではないかと思った。このA子さんも笑顔をたたえて結婚式を挙げ、子供の誕生を夫婦で喜び合った日々もあったはずである。時は流れて、今では一緒にいること自体がゾッとするというのである。何故このようになってしまうのであろう。
 
 3月8日、夫の暴力に関連して「何故コミュニケーションが保てない」と題して記述した。自分の持つ常識で相手を評価する人の性も離婚を誘発させる1つの原因のように思う。
 
 しかし、この常識・感覚的な原因が、人と人との破局の総てであるとは思えない。もっと深い次元で人間の心の黒い霧というべき実態があるような気がする。
 
 イタリアの著名な社会学者であるアルベローニさんが書いた「平気で嘘を言う人」という本が少々のベストセラーになっている。この本の227頁に「ある有名な金言によれば、人間は悪(嫌なこと)を与えられれば、それは大理石に刻むが、善(好ましいこと。愛されることなど)を与えられれば埃に刻む」とあった
 。この意味は、嫌な思い出は心の大理石に刻むが、好ましいこと、自分が愛されたことなどは机の上の埃にその記憶を刻むというから、総て忘れてしまうといっているのだ。
 
 アルベローニさんは「我々は長年続いた深い友情や愛情に関わる場合でも同じように対応する。しばしばちょっとした目付きや無理解、あるいは夫が妻の機転のきかなさがきっかけで、軋轢を生じ、収拾のつかない事態に立ち至ることがある。

 そして(楽しかった)過去は帳消しになり、惨憺たる結果になったりもする。離婚の場合には、相手から与えられた幸せ、分かち合った喜びも総て煙のように消えうせる。・・・そして、誤った振る舞いや(相手から浴びせかけられた)毒を含んだ言葉が胸中に行列を作ることになる。・・・我々は、こういう記憶の抗し難い(悪しきことのみを記憶する力)心の邪悪なメカニズムをなんと呼ぶべきか自問する」(カッコ内は筆者の加筆)とあった。

 心理学者のアルベローニさんが、指摘するように、人の邪悪な心のメカニズムが、離婚という破局を生み出す背景なのだろう。
 
 しかし、この心のメカニズムも個人差があるように思える。・・・(省略)心の中が黒い霧に深く覆われている人は、悪しきことのみ記憶して、善き事は記憶に残らないように思う。

 心の状態を単純に言葉で表現すれば、心が濁っているか澄んでいるかに立て分けられるように思う。心が澄んでいれば、物事に対する感動もあるし、善き思い出も忘れることなく心に明確に刻むのではないか。離婚という人生のドラマは、さまざまな例外があるにせよ、その人の心のスクリーンの色で決まるのではないか。
 
 それでは、心に覆い被さる黒い霧をどうすれば払って、晴天のような心を育てることが出来るのだろう。心理学者であるアルべロールさんが「心に邪悪なメカニズムを何と呼ぶべきか自問する」との記述に留めているのに、私ごときがこのメカニズムを説明できるわけがない。人が生きる上で、根幹をなす事柄で、これ以上難しいテーマはないように思える。
 
 アインシュタインの語録の中で「真実は単純」という言葉がある。この前提に立って、邪悪の心のメカニズムの一断面を考えてみたい。人間の邪悪な心を益々燃え上がらせるような本が多くある。
  
 これは良書に対しては悪書になる。すなわち、悪書に多く接すれば、心の中が黒い霧で覆われ、押さえようもないほどの邪悪な心が噴出してくる。反対に良書に接すれば、心が清く逞しい方向に進むのではないだろうか。 人の心の真実は単純なものだと思っている1人である。・・・」
(98年4月5日の日々の映像から引用。後半部は1部削除と文章の縮小を計る)

 さて、冒頭に書いた離婚数であるが、多少の年度別に見ると、次のとおりだ。
1997年度の離婚件数  22万5000件                  
1999年度の離婚件数  25万0500件  97年比2万5500件の増
2000年度の離婚件数  26万4255件  前年比 1万3755件の増
2001年度の離婚件数  28万9000件  前年比 2万4745件の増
 
 以上のとおり、1997年から2000年まで離婚の増加は、1万2000件から1万3000件であったが、2001年度は前年比で2万4000件台の増加で過去最高の伸び率となる。こんなものだろうと冷めた見方もあるかも知れないが、2001年度の結婚は「80万3000組」(1月4日 日経から)しかないのである。

 少々くどく記述すれば、2001年度は、結婚80万3000組で、この結婚数の36%に当たる28万9000組の離婚があったのだ。なぜこんなに離婚が増えるのだろう。社会全体の有り様としても決して良いことではない。

 社会の指導者は、激増のデーターを見るだけで、有効な指導も出来ないまま、ただ立ち竦んでいるだけなのか。このペースでいけば、2002年の離婚は確実に30万組を軽く突破する。
    
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 1月17日は阪神大震災から7年を経過した日であった。6432人もの犠牲者の家族に対して、国はどのような支援をしたのか。3年余りも審議を重ねて、やっと法案が成立したのは、最高で100万円の(総額で約64億円)の見舞金で終わりであった。

 港・道路などの公共物には、総計で12兆円(過去の報道による)もの巨費を投じた。ここに日本という国のシステムが明瞭に浮かび上がる。国家とは公共物を作り守るために存在し、国民1人1人がどうなっても、総て自己責任だ!と言ってる。

 この政府の方針に対して、異論を唱える人は少ない。少々の論説があっても、これが世論として盛り上がることもない。日本人は政府の決定に何でも従うという江戸時代からの特質があるようだ。

 地震で建物が全半壊したなどの3万1672世帯が無担保で最高350万円の災害援護資金を借りたと言う。毎日の記者の目を読むと3万1672世帯の中で阪神大震災から立ち上がれない人がいかに多いかが読み取れる。

 「災害援護資金を利用したのは、3万1762人。このうち昨年の11月現在で、660人が破産し、1203人が死亡した。さらに、5809人が1回毎の返済額を減らしてもらう措置をとっている。個々の被害者の生活復興はまだまだだ」と。

 この大震災に対して、庶民のために行政が行った支援は、無担保でわずか350万円の貸し付けだけだった。政治家は胸を張ってこの支援内容を世界に説明すればよい。これが、世界第2位の経済大国が行った支援だから世界に誇り得ることだろう。
 
 以前に書いた日々の映像で、せめて亡くなった6432人の遺族に、生活の再建資金として、1000万円の見舞金を支給しても640億円だと書いた。建物が全壊した庶民に対して、1000万円の補助金を出しても12兆の公共投資から比べればわずかの金額だ。「超党派の国会議員が自然災害の住宅再建を国が支援する制度創設が目的で、2000年10月に全壊世帯に最高850万円を支給する法案骨子をまとめた」(引用同)しかし頓挫した。

 なぜ頓挫したか。それは住宅の所有者から年間2000円を集めるのが法案の骨子であったからだ。こんな法案が通ったら、これを集める市町村の事務が増大するので全国の町村会が反対した。どうして、国会議員の先生方は、持ち家の家庭1所帯から1ヵ年2000円を集める・・・などというケチな考え方をするのだろう。

 なんで、国の予算で、1ヵ年1000億円の基金を積み立てて被災者の救済に当てよう・・・という発想にならないのだろう。住宅の所有者から2000円を集める・・・このケチな発想も世界に誇り得ることと言わねばならない。

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石田ふたみ