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2000年04月09日(日)
「はみだしっ子」についてNoviceさんと語る(再録)



「はみだしっ子」についてNoviceさんと語る(再録)


[393]夏休みモード全開です:SOKE:1999/08/10(Tue) 22:21:51

昔、オスカーが好きだったなあ―。でも、おとなになって、オスカーの不幸を
理解できるようになってからは「素直でぜいたくな、てらいのない」感情表現ができる
エーリクが好きになりました。トーマは「11月のギムナジウム」のトーマの方が好き。
作品としては「トーマの心臓」の方が完成度は高いけど、どっちもいいですよね。
さらに、発展して「残酷な神が支配する」がいったいどこへ行くのか、、
いまだに読めない私です。
「訪問者」のオスカーのような子供は、実際にたくさん存在しています。
それはもうこわいくらいです。子供が当然受けるべき愛情を受けていないのに、
他人はどうすることもできません。それを乗り越え、さらに人に手を差し伸べることが
できるなんて、奇跡に近い、、
三原順さんが大好きでした。雪山に閉じ込められるところから全て始まったんですよね。
グレアムとアンジーは、ユーリとオスカー?
んじゃ、サーニンはエーリクで、マックスはトーマか?
(このへん無理やりでめちゃくちゃ)
愛情不足は少女漫画のメインテーマ、手を差し伸べてくれるのはいったいだれでしょう。

[395へのレス]Re: 三原順と雪のシーン....:Novice:1999/08/17(Tue) 19:36:48

超カメレスですみません(~^;)。三原先生のファンの一人ですm(__)m。
雪のシーンには、確かに印象的な場面が多いですね。
SOKEさんのおっしゃる「山の上に吹く風は」(4巻)もそうですし、
「雪だるまに雪は降る」(1巻)もそうです。特に雪だるまに向かって 「行け!行ってママを連れて来い!」のところは、
今回ひさしぶりに読み返してみて、かなりジーンときました。
でも、エーリクは、サーニンというよりは、マックスのような気が(笑)。
[395へのレス]Re: 三原順と雪のシーン....:SOKE:1999/08/19(Thu) 07:48:20

いやいや、グレアムの心のオアシスという意味でサーニンだと思うなあ。
病んだ心がもとめる、健康な心。それに!ほら髪の色が同じでしょう?(わはは)
あ、でも「トーマ」では、トーマがいないから、エーリクが二人分の役をしているのかも。

[395へのレス]Re: 三原順と雪のシーン....:Novice:1999/08/20(Fri) 10:43:23

SOKEさん、なるほど、あとエーリクのきかん気で頑固なところは
サーニン似かもしれませんね(^^)。それで甘えっ子なところはマックス似(笑)。
グレアムは、左手をサーニンに預けて眠るほどサーニンに頼る一方、
マックスにも救いを求めているような気がするのです。
Sonsとムーンライティングは文庫化されている(されつつある)のですが、
Sonsは6,7巻を探している人は結構いらっしゃるようです。
個人的には6巻が「転」で7巻が「結」だと思うので、まだ読んでいない人は
ぜひ9月に出る文庫版で読んでみてください!
三原氏の作品に関しては、「あのセリフの量を文庫版で読むのはキツい」という声も
根強くあるようです(苦笑)。

[395へのレス]はみだしっ子:SOKE:1999/08/21(Sat) 01:52:40

第1話の短編の最後のページが、雑誌掲載時と単行本収録時では違っていましたね。
こんなに長くなるなんて作者も思っていなかったんでしょうね。
グレアムがマーキーに話しかけるページなんて、文庫版で読めるだろうか、
最後の作品の絵の入っていない白いページを見るとなんともいえない気分になります。
でも、不思議と静かで明るいトーンで終わっているのが救いです。

[395へのレス]Re: 三原順と雪のシーン....:Novice:1999/08/21(Sat) 10:57:16

はみだしっ子第1話の雑誌版では、大人をシャットアウトしたままの
4人の成長した姿が描かれているようですね
(最近、ネットで知り合った三原先生ファンの方から見せていただきました。
1巻あたりはまだ雑誌ではリアルタイムで読んでいなかったので。ネットの力に感謝!)。
マーキーに向けた独白と、あとグレアムのノート(1ページ全部字)もけっこうきついと思います。
最後の作品は、主婦と生活社発行の「ビリーの森ジョディの樹」ですね。
作成途中の画と、あのあとに続くはずの、軽く3ー4巻分は行きそうな構想(あらすじ)を
読むとやはり....。しかし、未完のままでも発行してくださった出版社の英断には感謝したいです。

[395へのレス]Re: 三原順.:SOKE:1999/08/22(Sun) 06:47:19>

そう、そのページ持ってるんですよ、って自慢したかったの。(笑)
ネット始めてから昔のマニア根性がよみがえって困ります。
初出と単行本のわずかな違いを発見して大喜びしていました。
(今は、読むだけで満足できる程度に落ち着いています。大人になったかな?)
はみだしっ子では、あと、「マックス、おまえずるいぞ」と、ジャックが言う大きなコマが、
雑誌の時は三原さんの絵だったのに、コミックスでは他の人の絵になっていたのが気になってます。
(手元に本がないので、何巻かわかりませんが)グレアムは、幸せになれたでしょうか?

[395へのレス]Re: 三原順と雪のシーン....:Novice:1999/08/23(Mon) 19:24:29

おお!雑誌をお持ちなんですか!すごい。現在私が目にすることができるのは、
コピーか、あるいは現物は国会図書館ぐらいなので...。
当時の雑誌を見ると、単行本に収録されていない対談や特集とか、
並行して連載されていた作品とか単行本の発売予定とかを見ることができて懐かしいです。
描き直しといえば、(SOKEさんはご存知の作品と思いますが)単行本「夕暮れの旅」の中に
「Die Energie5.2☆11.8」という短編があり、その中で、後のムーンライティングシリーズの
主人公となるDDがでてきます。そのDDの描かれ方が、より後期のDDみたいな画だなぁと
思って雑誌と照らし合わせてみたら、約5ページほど全く新たに描き下ろされていたことを
発見したことがありました。ルドルフが揚水式発電所についての夢を語るモノローグのところです。
いえ、描き直すことがいいとか悪いとかではなく、あんなに計算されつくされてはいるが
セリフの多い作品だったのに、なお語らせたりなかった(と作者が思った)ところが
あったのだなぁ、と。
ああっ!マニアな話を更により細かく発展させてしまった(^^;)。すみません。
P.S.グレアムが果たして幸せになれたのかは、未だに私にとって解決のついていない問題 なのです.....。

[395へのレス]過去ログの彼方へ行っちゃう前に:SOKE:1999/08/24(Tue) 3:22 >

しつこくレスを書いていますが、少女漫画にあるまじき原発問題を扱った作品でしたね。
掲載誌も単行本も実家にあるはずだけど、それは気がつかなかった。
矛盾を感じつつも、きちんとお仕事をするルドルフは大人だと思いました。
DDはあの作品では、まともな人のようでしたね。
(ひさびさに読み返したい気分になってきました。しかし、実家の本を持ってくると
居住空間がなくなってしまう、、)
グレアムの告白で全てが収まらないのは、彼が当事者ではないからですね。
マックスの正当防衛と過失致死だものね。でも、作者もそのことはわかっていたと思う。
最初の積み木がわずかに、ずれていることが、その上に積み上げられた物語に、
不安定な感じを与えていると思うのですが、私はそれが嫌いではないです。
後半部分のグレアムの葛藤は当時、何度も熟読して、けっこう私の血肉になっている気がします。
「カンパリソーダにジンをたらして」って時々ぽろっといっちゃうのですが、
これは、どこにでてきたっけ、、

[395へのレス]私も駆け込み.....:Novice:1999/08/24(Tue) 20:28:31

はい、SOKEさん。しかも、いわゆる原発に問題提起とか主義主張という作品ではなく、
原発を必要悪とみなして、それを題材にした、立派な社会派ミステリーでしたね。
DDは、あのころは、思いつめがちなルドルフのガス抜き役といったところでしょうか。
そうそう、私も、あの告白の場面で、「キミが告白してどないするんねん」と
ツッコミを入れたくなりました(苦笑)。しかも、場所は自宅ではなくトリスタン....。
マックスに責任能力はなく結局法律的にはおとがめなしとしても、
マックスには知れてしまうことになるであろうし、あのあとどうなったのか、気がかりでした。
「カンパリソーダにジンたらして」、発見しました。11巻の102ページですね。
そう、実は、私、フランクファーターとの法廷での攻防、かなり好きでした。
あと、「いつものときには皿に適量の食事をとるが、飢えているときは、足りない、 まだ足りないと皿にかきあつめ積み上げたくなるんだ」(すみません、出典探し当てられず不正確) というセリフが思い浮かぶことがあるのです。
[395へのレス]これで最後?:SOKE:1999/08/25(Wed) 01:26:10

昔の私なら、全作品をひっくり返しても、そのセリフの出典を探し出して、
「ああ、○○ですね」と涼しい顔して言いたいところですが、ううう、現在はできません。(笑)
デビュー作からアクの強い作風で、いわゆる社会的関心が強い三原さんでしたが、
その個性を良い方向に向けて、常にテーマは最前線だったと思います。
そして、はみだしっ子達に、ジャックとロナルドという形で、大人になって生きていくことも
そう悪くない、と見せてくれたことが、すごいと思う。出口はあるって気になるものね。

[395へのレス]Re: これで最後:Novice:1999/08/25(Wed) 20:37:41

ああ、なんか細かい話をしはじめてしまってすみませんでした。
罪滅ぼしのために書かせていただきますと、「飢えてるときは」の話は、
「はみだしっ子」の10巻で、マックスがジャックに嫌われていると思い込んで、
「寄宿舎に行く」とか言い出して、その言動をかばうアンジーの発言でした。
その10ページ前ぐらいに、たぶんSOKEさんのおっしゃっていた、
ジャックがマックスに「(先に寝ちゃって)ずるいぞ」という場面があります。
テーマは最前線であり、かつ現代にも通じるところのある普遍性のあるものだったように思います。
アンジーはロナルドのような、そして(推測ですが)サーニンはジャックのような大人に
成長したのかもしれません。グレアムは...さすがにフランクファーターには
ならなかったでしょうが、もしかしてルドルフのようになったでしょうか?

森川久美さん公式HP『ドルチェでいこう』掲示板「ぶどうの木の下で」
過去ログ(5)393〜395より再録させていただきました。
マスターとNoviceさんに感謝いたします。



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