| 義母のこと |
亡くなった義母の話を。
「義母」と言ってますが、同居人の母ではありません。 戸籍上では私の母(養母)で、血筋から行くと大叔母。 大叔母、つまり祖母の姉妹(妹)です。 ところが、この祖母がそもそも後妻でして つきつめると血縁関係もないんですよね。
けど 私が生まれる前から家族だったので 血がつながってるとか繋がってないとか そんなことは考えたことはありませんでした。
ああでも、もうかなり前になくなった祖母と 血が繋がっていないと知ったときは、ちょっと悲しかったです。 なぜって、それを知ったときに、祖母が見たこともないような顔で 「知られちゃったねぇ」と言ったから。 大好きなおばあちゃんを悲しませたことが悲しかった。
いや、養母の話でしたね。 というわけで、「祖母」といえる年齢でして ま 世間一般では 不足のない年齢 だったと思います。
彼女は ずーっと独身で働き続けて、今で言うキャリアウーマンの はしりだったのではないでしょうか。 地元ではそれこそ「市内で一番早くパーマをかけた」と 自分では言ってました。 かけたはいいけど、昔の「アイロンパーマ」でしょ?くりくりの。 結局、外に出るときは恥ずかしいので ひっつめにしてぎっっっちり縛り、スカーフ被って外出したとか(笑)
そうですね 今から15年も前に(もっと前だったかな?) きれいに白くなった髪を、青や紫に染めていました。 その色だと、まだ周りの人が奇異の目で見るような時代でしたね。
明治生まれなのに、ワンピースとハイヒールをたっくさん持っていて、 もう見本にしたいような見事な外反母趾でした(苦笑) チーズが大好きで、お茶よりコーヒーが好きで、お酒も大好きで 時々「ピザ取ろうよ」などと宅配のピザを食べたがる人で。
最後の2年はもう意識もなくて 点滴と流動食だけで永らえていたので 家には居なかったのですが
こうやって思い出すと 本当についこの間まで喧嘩していたような気がしますねぇ
やっぱり 告別式が済んで、一息ついてから 涙って 出るんだなぁと しみじみ思います。
合掌。
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2002年10月11日(金)
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