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地元の有志が発行している季刊誌、「○○評論」を購読している。 初代発行人は、子供の頃からお世話になっていた小児科の先生だった。 先生が亡くなられて発行人は変わったが志は変わらない。 私の理解力と知識ではちょっと手に負えない雑誌なのだが たまには刺激を与えなくては脳細胞も死滅してしまうので 頭痛と理解力不足に悩まされながらも出来るだけ読むようにしている。 執筆者には高校でお世話になった先生方の名前もあり、 懐かしいような振り返りたくないような複雑な気分である。
今回、巻頭文で、テロのことに触れられていた。 なぜアメリカのやり方を、それに媚び諂う日本政府を みんな容認しているのか不思議だったのだが 「アメリカは他の痛みが分からない」 「テロを容認するものではないがアメリカのやり方は認められない」 「何より情けないのは追従する日本政府である」という その巻頭文には、拍手喝采を送りたい。 ああ、やっと同意できる意見を聞いた、と嬉しく思った。
それにしても「宗教」に関しては 殆ど無限とも思える許容量を持つ日本人にとって 「聖戦」という考え方は理解を超えている。 高校の頃読んだ豊田有恒氏の本に宗教関係の話が出てきて、 本当に戦争が認められる(或る状況下に置いては求められる) そんな宗教もあるのだ、と怖くなった覚えがあるが 今まさに自らの命も投げ出してテロを実行した彼らを見て 改めて背筋の凍る思いがする。
宗教でこそないが 日本でもつい数十年前に同じ様な時代があったじゃないか。 それを恐怖とともに思い出す人はいないのだろうか。 そして、その時アメリカが何をしたか 思い起こす人はいないのだろうか。
アメリカが嫌いなわけではない。 でも、何でもかんでもアメリカにおべっかを使い、いい顔をしようとする 日本のそんなところが、とても嫌いだ。 そんな日本を作っている政治家を選出している 私たち選挙民の不甲斐なさが、嫌いだ。
(日本人の宗教観や「無限の許容量」に関しては今回深くつっこまないでね。 語弊があるのは判ってるわ。 でも今日の本題じゃないから目を瞑ってね。)
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2002年01月22日(火)
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