私季彩々
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2006年01月05日(木) 富良野行

 久々の富良野行となった。
 札幌から北広島を抜けて向かうのは初めてで、地図を頼りに初めての道を敢えて選んだ。一箇所を除いてわかりやすく、白い大地に伸びる圧雪の道も厳しい冷え込みで締まりさほど滑らない。真っ青とはいかない空も雪に反射して視野を白けさせることもなく、快適である。
 途中からは馴染の道であった。学生時代から自転車を含めてよく通った道で懐かしい。桂沢湖へ抜ける幾春別市街はショートカット路になってしまい、狭隘な炭鉱街の面影も知る人ぞ知るである。幾つかの思い出を静めて、北海道最初の鉄路が有った道は山奥の国道へ連なる。ここは何度も通り、スピンしたり、路駐してバッテリーをあげたりと、またまた思いで深い道である。休憩予定の場所はことごとく雪で埋まっており、結局富良野までノンストップの行程となった。

 富良野は空知川が作った盆地で、視野が開けると急に広がると価値連峰がやはり見事である。スキー場もすぐで、大型店舗も適度に集まる中心街は生活するにも便利であろう。やはり活気が感じられる。そろそろ落ち着いた観光地と文化の街としてのステータスが定着したのかもしれない。
 小高い丘に登り、たまたま開いていたレストランで昼食を取る。十勝連峰が一望でき、かつて登った山並みに思いを馳せた。
 そこから先は富良野の裏道を抜け、上富良野まで。ある娘さんとそのご両親を訪問。彼女は自殺未遂をしたことがあり、そのまま実家に戻ってしまった。
 いたって健康そうで、一緒に連れて行った友達と久々に会い、楽しくてしょうがない様子である。ご両親は医者の診断もあり、一切例の話題には触れずに半年が過ぎたそうだ。沈黙の裏にある饒舌な問いかけは、先日私が正月早々直面した「疲れましたぁ」そのままである。が、こちらの場合、彼女にその自覚があるのかはっきりしないから性質が悪い。触れて暴発すれば命に関わるかもしれない。全てが腫れ物に触るようで、特にお父さんの困惑振りは心に染みた。言いたいことがいえない。それは全て労わりなのだが、刺としか受け入れられない。私が居た間に、言葉が変容してしまうのを何度も見た。哀しいが、今はそれ以上どうしようもない。
 病であれば致し方が無いが、そうでなければ誰もが直面する壁である。自力で登るも壊すも、周囲が支えるもいろいろだが、逃げ出すことももちろんある。逃げた先が楽でいられるところならばそれで良いだろうが、いつまでも居られない。彼女は何も言わない。ただ、「死」の影がつきまとう。
 私は何度も逃げ出してきたが、何とか生きている。ただ、「逃げた」という事実と今の境遇に納得ができていない。いや、説明するのが億劫で恥ずかしい。恥かしがりやなのだ。
 彼女はどうなのだろう。起こしてしまった事実は封印されている。誰もが聞きたい事実が封印されている、が、消えてしまってはいない。いつも緊張が走る。本当に彼女は医学的な病なのか。ただの甘えなのか。

 乗りなれない車に乗って彼女は友達と消えた。私と両親は残された。彼女は逃げ出したのだ。その気持ちが良くわかる。きっと彼女はごく普通の女の子にすぎないだろう。
 お父さんはさらに声を細くした。私は私の父の姿を重ねた。愛する人は愛する人を捨てられない。たとえどんなに悲しくても。そのことだけを知らされつつ、一人富良野を離れた。
 やはり、富良野は心に残る街である。爪痕としても。 Home&Photo


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