私季彩々
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2005年09月25日(日) 思考停止は将棋の駒で。

 考えても進まない。そんなときは考えずに、なんてことが凡人にできるわけがない。無我の境地など。一生無理である。無思考とは異なるのだろうが。

 心に深く何かが根をおろす時、私はふと我に還る。無心に心が開かれている時、私はふと我に還る。そんな吾を見下ろし、また思考に入り込む。その思考がまたくだらないのだ。
 失敗を反省する時も、無為な休日を過ごしている時も、私は何かを考えようとして、何も考えられなくて、眠りにも陥られなく、思考だけが頭を離れない。思考するといっても何もしないのだ。行動の足がかりにも、悟りの足がかりにもならない。
 私が世界大統領だったら、私が首相だったら、影の支配者だったら、実は我が愛猫はこの世の支配者だったら、世界が私を追っているとしたら、この部屋は実は超機密基地だったら。きっと、世の為政者や暴君の何人かは、そんなことを考えながら本当に出来る境遇に至った人々なのだろうなと思ってしまうほど他愛もなくつまらないものばかり。それほど世と私は乖離している。

 そんな時、常に浮かぶのは、将棋の駒である。盤上に歩から王将まで9枚づつが並ぶ。並びきらない盤は勝手に拡大する。敵は雑魚である。9枚の王将のうち8枚は影武者である。
 別シチュエーションでは、歩かと金に成り変わっている。これは強い。圧倒的な兵力の中、私は一歩も進めることなく、勝ちを勝手に決めて駒を崩す。新たな布陣を敷いてまた崩す。見事に何も考えていない。無思考は私の場合すり替えである。

 人というのは本当に難しい。私は仙人になりたいとのたまっていたが、ここしばらくはその思いが強い。自分の望まぬ形を、ほんの小さな結果を求めて捻じ曲げている。皆の期待値は絶対値で平均はない。皆が不満を言い出して、コーディネーターはサンドバックである。そしてそれが仕事である。

 将棋の駒は私の深層心理で何を表しているのだろうか。小学生の頃覚え、そこそこ強かった。が、小学校6年生の頃の棋力が最大で、パソコンでもネットでもろくに勝てない。ここ数年対局などしていない。
 それでも私は、眠れない布団の中で、常に将棋を並べている。戦いの始まらない、分裂増殖する駒たちを。 Home&Photo


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