私季彩々
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2005年08月21日(日) ジョハド

 インド北部の言葉で、「溜め池」とのこと。乾いていく大地に水を溜め、大地にゆっくり返していく。生産と消費の循環をつかさどる「水」。その修士を我々は急速に枯渇へ導いている。
 乾燥地帯が潜在的に豊かな農地であると言う発想には驚いた。日の恵み、かつての肥沃な土壌、それに水が重なれば穀倉地帯が出来上がる。黄河流域がそのまま当てはまる。最も、黄河は文明が作った乾燥地帯だが。
 翻って、水の恵みが世界でも奇跡なほど豊かなこの国に、食料は足りない。そのような乾燥地帯が無いからこそ、足りないのだろう。経済の修士から見れば割が合わないだろうが、「水」という収支ではどうなのだろう。
 貨幣が価値を支配してどれくらい経つのだろう。ローマ時代ではすでに揺るぎない基軸だった。様々な思想化が新たな基軸を建て、地で洗いつつ挑み、相手にもならずに消えていった。
 水と土地は、不動と循環の相反するようにみられながら切っても切れない縁である。恵みの最大値は自ずと感じられるもの。
 「ジョハド」は新たな身近な思想になりうる。というより、もっと身近な「想い」になる。乾いた大地は永続したものではなかった。そして、豊かな大地もまた、永続したものではない。一粒のトマトがそれを語るに十分足る。

 私は、たった一つ、生ある間に、「ジョハド」をひとつ作りたい、それだけのことだ。 Home&Photo


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