私季彩々
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2005年06月23日(木) 山羊の暮れ

 札幌は真夏日になったとのこと。冷夏と思っている間に一気に夏がきた。そりゃ6月も末だしなぁ。

 早々と(といっても7時だが)切り上げて畑へ向かう。すでに誰もいない暮れかかった空に月はなく、灰色の空は紅も忘れ、闇へ急ぎ足。私は壊れかけたジョウロを手に取り、流水溝へ何度も脚を運び水を汲んでいる。乾いた土は旺盛に水を吸い込んでいく。僅かに伸びたじゃがいも、8分がた枯れた玉葱、伸びないオクラ、パセリ。雑草の勢いも猛暑とはいえ密やか。そんな中、うっすら汗ばみながら、如雨露に水を汲む。土へ注ぎ込む時間は思いのほか長くかかる、とはいえ30秒も無いかな。汲むのはあっというま。その単調な工程が妙にいとしくなる。飢えている彼等に与えるだけの行為。日照りの中で明らかに失われていく命の水を、一縷の望みと、それほどないこだわりとを混ぜて、夜は確実にやってきた。
 帰りがけの砂利道に佇むオス山羊。驚かさないように少し草を取り近づく。立派に映えた角で腰を掻きながら、草を食む。山羊の目は細長い瞳。月の無い夜に、月の瞳。私の手を噛み、長靴を噛む。ねころがんだ私は目を閉じる。残像は街の明かり。虫の音。うっすらと隣りの畑から除草剤の香りが届く。

 「日々は静かに発酵し」。そんな映画があった。あのころ、雰囲気しかわからない映画をよく見に行った。そう、見に行った。いま観たらどうおもうだろう。発酵した日々終わりには青臭く、芳醇さは先なのか、幻なのか。はっきりしているのは、匂い、水の流れ、変わらず長靴を噛む山羊。

 2台目の車が通り過ぎ、私は車に乗り込んだ。山羊はすくっと立ち、何もなかったように土手を降りてった。
 帰り道、私は何度か、ひやっとする目に会った。心ここにあらず、だったかもしれない。 Home&Photo


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