私季彩々
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NHKスペシャルで著作権についての特集がやっていた。知は誰のものか。
もともと著作権は14年(13年だっけな?)だったらしい。それがドンドン長くなって、今では70年を超えるそうだ。細かい期間は忘れてしまったけれど、そんなもの。 それは著作権がどんどん巨額の利益を生むようになったためのようだ。発案者だけでなく、それに関わって働く人たちを含めて。既得権になってくれば、それを守らなくては突然収入が絶えてしまう。
インターネットの普及とデジタル化によって、コピーの劣化性がなくり伝達性が飛躍的に向上した。メディアの形になったものは一瞬にして作者の手を離れる。 作者の創造性を確保するために著作権は保護されるべきだと漠然に思っていたが、総本山たるアメリカで著作権論議に火がついているのはさすがだと思った。長すぎだというのだ。 ミッキーマウスは白黒の映像時代から現在にいたるまで、容赦ない著作権で守られている。子供達がプールに絵を描くことも許さない。作者はこの著作権だけでどれだけの収入を得たのだろうか。どれだけの収入が妥当なのだろうか。著作権が増幅されて、どれだけの人の懐に入り込んでいるのだろうか。
科学論文の世界では、どんな優れた論文でも、新しい発見はほんの数行にしかならない。ほとんどは引用に次ぐ引用で、最後の一行に”suggested(示唆される)”とあるだけのものがほとんどだ。本当のオリジナルなんてほんの一握り。それはキャラクターでも音楽でも同じ。それらが、映像やグッズになって著しく巨大化した。どれもすべて、自分がオリジナルだと主張している。
しかし、インターネットの出現によって、創作と頒布の垣根が崩れた。仲介者は右往左往だ。彼らは作者の権利を主張しながら、最も痛打をこうむったのも彼らだ。肥大化した既得権に穴があいた。インターネットの自由度と時代との相性からいって、この穴は決して塞がらないだろう。コピー防止の技術は常に崩れる。
問題は創作に対する正当な対価のあり方だ。現状のあり方は確かに危機的だ。しかしながら、著作権の期間を延長して、厳罰を持って望むのは時代錯誤だろう。自らCDやDVDを焼ける時代に入って、3000円のCDが100円でできることを知ったユーザーに逆戻りはない。間にいるメディア企業はあっという間に肥大化した存在に成り下がってしまったことを自覚しないといけない。
デジタルネットが生み出した創造の可能性は、大きなボトムアップとなっている。間に入っていた巨額の利益が、双方にうまく共有される方法が生まれるだろう。今は試行錯誤の時代だ。リナックスはどうやって利益をあげているのだろう?
ミッキーマウスなんて誰がどんな映画を作ったっていい。本当にいい作品だけが残るだろう。作品を作るための経費をどう回収するかという問題はあるだろうが、著作権料が下がるだけでも大きいだろう。映画にしても、ハリウッド俳優が稼ぐギャラは異常だ。あれだけもらわなきゃいい仕事をしないなんてのは大きな勘違いだ。
時代の流れは止まらない。本田のスクーターも10万円を切った。著作権というバブルも破裂するだろう。新しい形を残して。
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