2003年03月30日(日)
*繭玉の願望と妄想と...
高校教師も終わりました。
ライブモードにも火がつき始めました。
そして気の早い私は次のドラマのことを考えてます。
そうしながら今までのドラマのことなんかも考えてます。
ライブとかリハの映像を観てると、「流石ギターキッズ!!!」な表情。
作られていない自然な素のNaoが見れるのはライブならでは。
でしょ?
やっぱり音楽やってる時のNaoが好き。
高校教師が終わってフッと思った。
Naoのキレイなキスシーンが見たいなぁ。
キスシーンが見れるのはドラマならでは。
でしょ?
(某PVは除く...)
やっぱり役者なNaoも好き。
気のせいかしら。
Naoのギターの音はとても温かみがあるように聴こえる。
実は私、インスト嫌いなのです。
それはたぶん変わってません。
今までもこれからも、なぜインストが作られるのかという疑問は持ち続けると思う。
それはどんなに楽曲が好きなアーティストさんでも思うことなの。
だけど、Naoのだけは違う。
無理でも何でもなく、「嫌いじゃない」じゃなく「大好き」。
じゃあ、それが紗トリさんが作ったインストでも?
って聞かれると、それに直面してみないとわかんない。
Naoが作ったからなのか、Naoが弾いてるからなのか、理由は自分でもわかんないし。
Naoのインストが好き。それで良いと思う。
役者さんとして、役柄でイメージを持たれていると何かで言ってた。
私はイメージを作るより先に、その人の素の姿ってどんなだろうって思う方。
意外とイメージは壊してくれると嬉しかったりしますが。
私の中のイメージじゃなくて、逆に役のイメージをね。
演じる人によって作られるイメージは確かに違うだろうけど、別の人間を演じているというのも確かなこと。
「ホントはこんなこと絶対に言わないんだろうなぁ」って思うようなことを役だから言えたりするんだと思うからね。
今度はクールな詐欺師なんてどうよ。
こうやって願望やら妄想やら織り交ぜつつ、私の思考はいろいろな思いを生み出しております。
高校教師のHPで京本さんのインタヴューがあるんですけど、その中で一番印象に残ってるのが、先輩に言われた言葉。
「一番光栄なのは役名で呼んでもらえること」だって。
そして、そこから脱皮する難しさもあるって。
役者さんって、何かきっかけがないとあまり自分を出す機会ってないじゃないですか。
「どんな人なんだろう」って思うこともあるけど、役者さんとしての存在感の方が視聴者には分かりやすかったり受け入れやすかったりするでしょ。
それが役者の仕事で、その仕事だけを愛していく人と、どこかで自分を表現する人が居るんじゃないかと思うのね。
音楽は役から脱皮して自分を表現するもの?
どうなんだろ。
わかんないけど。
Naoは京本さんも言ってたけど、とっても真面目な人だから、Nao自身の中から役を解放するのが、音楽を生み出し表現していくことなんじゃないかと。
好きなことを仕事にしてしまったら、義務感とか責任感ばかりに押しつぶされて、好きな気持ちが薄れてしまうというのはよく聞くけど、今のNaoはNaoにとっての音楽の楽しさを持っているんじゃないかって思うの。
根拠はないんだけどね。
大事な仲間が居て、信頼できるスタッフに囲まれて、積み重ねてきた経験がある。
たとえ仕事でも、心から楽しんでいる大切なものだと信じる。
この考えはね、想像なんだけど私が信じたいことなの。
Naoにしてみたら理想化してる部類に入るのかもしれない。
でも、知ったフリしてるわけじゃなく、わかんないことだらけだってことは理解してるつもり。
須賀ちゃん観てて思ったのよ、何が他の役と違うんだろう。って。
Naoの演技とかの比較じゃなくて。
人物像として。
Naoが演じた須賀ちゃんの魅力が私は好きなんだなぁ。
今日の日記は、そんな須賀ちゃんモードから生まれました(笑)