手打ち台 - 2004年12月18日(土) 蕎麦屋に於ける「手打ち台」とは神聖なものであると思う。しかし、そこに胡座をかいて手前の窓拭きをしている光景を目にした時、その神聖さは薄れてしまうだろう。打ち台の上には道具以外一切物を置かないという方もいるし、他人には触れさせないという方もいる。 でも、どうしても手前に大きなガラス窓があると掃除に困るはず。仕方がないから打ち台に上らなければならない状況に陥るが、ある意味それは自らの拘りや思いを裏切る行為にも繋がるのではなかろうか。以前、都内の割りと有名なお店に於いて見た光景は若いスタッフが打ち台の上でやる気なさそうにガラスを拭く姿は消費者をがっかりさせる。まあ、中身も評判よりも大したもんじゃなかったし、経営者の姿勢が良く分かる全体の空気と動きを感じたので2度と行く機会を持っていないが、正直ああいう光景は見たくはない。 私が手掛けるお店は他の理由があって大きな窓を付けていないのだが、そう考えると見せる為の大窓は神聖さを軽減させてしまうことにも繋がる矛盾を秘めていると言える。 -
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