ときどき、晴れ...

 

 

言葉足らずだから、せめて。 - 2007年01月12日(金)

いつもいろんな人を不用意に傷つけていることもあると思う。
今もそう。
この文章だって、そうだ。
傷つけたら、ごめんね。

*

歴史がどう、とか。
ファン暦がどう、とか。

いつもはそんなの意識しないし、どうでもいいことだと思ってるんだけど。

でも、どこかで。
この説明できない、ただの「カン」でしかない感覚って、分かり合える人が少ないような気がして。
一緒に同じものを見てきた人にしか判らないじゃん?とどっか思ってるわけで。

そんなわけで。

「嫌いなんだね」

って、オーラス前に相方に言われたの。

「考えたんだけどね、別にねオリジナルで踊るのはいいと思うの。でもね、ソロとC&Sとライバクが違ってたらよかったのに」

って言ったら。

「悠は、今回のコンが嫌いなんだね」

って言われて。

あー、そっか。
うん。そうだ。
って、「うん。嫌い」って返事した。

自分で納得できた。

そしたら、少し落ち着いて。
もう嫌いなんだから未練もなんもないし、ただホントにひたすらにのだけ見てようって思った。

*

ずっと信じたくなかったんだと思う。
台湾で観たときに、

「これ、日本でやっちゃダメだ」

って、確信した自分と。
現実に日本で全く同じコトをしている嵐との齟齬を。

この7年間見てきたものはなんだったんだろう、って。

しょせん、たまたまが重なって、自分が最低限欲しているものをクリアして提供してくれるように感じただけだったのかな。
これまで運がよかっただけで。
現実は、こんなもので。
贅沢すぎることだったんだろうか。

そんなことをぐるぐる考えてた。

「全く同じことをする」って判ったのは、チケットの振込みも終わった後で。
それでも、実際会場に足を運べば、何か変わるかもしれない。
同じものを見せられる。
新しいことは何もない。
それを判った上で行くんだし。
嵐本人を見れば、なにかしらテンションも上るかも。

とりあえず、公演に入らなければわからないから。
直に見て、感じたものが全てだから。
確かめないとと思った。

*

ツアーが始まるまで。
これでもかというほど「内容は変えない」と言い切る潤くんに優しさを感じた。

無駄な期待はさせない。
ハッキリとした意思を感じた。

想像ならいくらでもできる。

時間的な制約や、スケジュールの都合。
政治的な理由。

本当に、こういうツアーをしたかったのか?

自分の心のために、そう疑ってしまう。
信じられない。

台湾でやることを前提としたコンサートで。
日本での演出がどの程度受け入れられるのか、そういうことを図るために作られたコンサートだとも思ったから。
失敗のない、確実に安全なコンサート。

日本でも、同じ反応が得られると思ったの?
日本のファンのためには、何も考えてくれないの?

「日本のファンにも同じものを見せたかった」

本気で言ってるの?
なんのサプライズもないのに?
堂々と出せるんだ?

軽い失望。

そして、また傷つく。

ネット上で見かける言葉。
聞こえて、そして自分でも言うであろう言葉に。

なんで、嵐コンでそんなことを言わなきゃいけないんだろう。
言われなきゃいけないんだろう。

実際、公演に入っても感じた。

「あ、同じなんだ」

そういう空気。

DVDの映像を、ライブで見ているような感覚だよね、って言われて。
ただ見ることに専念しようと割り切って。
一度、そういうものだと身体の中に入れてしまえば、苦痛もなくなった。

一度、アリーナやスタンドの前列で見れていたら変わるのかもしれない。
近くを走り、歩き、踊り、煽り、歌う。
そういう場所にいれば、少しは誤魔化せたかと思う。

でも、ずっとスタンド後方席だったからね。
最初から、そこには冷静な自分しか居なかった。

どこでも楽しめてたのに。

立見でも、最後列でも。
そこに好きなものがあるだけで、違ってたのに。

自分の気の持ちようなんだろうと思った。
「楽しもう」としてないから、「楽しくない」。

でも、私の初めての日。

さとっさんのソロを見てたら涙が出てきた。

もっとすごいことができるはずなのに。
もっとすごい何かが見れたかもしれないのに。

そんなことを考えてしまった。
悔しかった。

そして翔ちゃんのソロでも。

まだコレをするの?
ここに留まってるの?

好きな曲だけど。
大好きな曲なのに、あの頃の翔ちゃんだからよかったんじゃないのかな、って。

最後の挨拶を聴きながら、なにも心に響いてこなかった。
潤くんの「大阪城ホールから始まった嵐のコンサート。7年間やってきたことを見せたかった」そういう言葉を聞きながら、私が観てきた7年間で感じたことは、なんだったんだろうと思ってしまった。

そして、やっぱりここに来ちゃいけなかったんだ、と思った。
こういう風に感じてしまうなら、ここに居てはいけなかった。
潤くんの言う言葉の範囲に、私は入ってない。

漠然とそう思った。

楽しいには違いないから。
場所とか、ファン暦とか。
知ってることとか、知らないこととか。
求めているものとか。
そういうのが、オイラとは合わないだけで、別に嵐はなにも妥協していたりしていないし。
(確かに、慣れてしまっていたから、そこからくる余裕でおざなりになってた部分もあったにはあったけど)
ちゃんと楽しんで、歌って、躍ってたから。
楽しもうとすれば楽しめるはず。
楽しい人には楽しいはず。

そのことが、哀しくて寂しかった。

それでも私は嵐に、にのに逢いたいし。
同じ空間に居たいから。
もうそれだけのために、「行かない」という選択肢は存在しなかった。

*

全く同じコトをやるという「凱旋コン」の主旨がある以上、

「みんなのためにこれをするんだよ」
「同じものを見て欲しかった」

そういう言葉を言わざるをえないのも理解できる。
そういう時期も必要なんだって。
そうも言い聞かせてた。

さとっさんが。

「今年一年ファンを辞めないでください」

そう言ったとき、思わず笑ってしまった。

翌日、いきなり。

「夏コンが決まりました」と、さとっさんが言った。

会場のどよめきの中で辛うじて、

「僕の中で、夏コンをすることが決まりました」

という言葉が聞こえた。

それぞれが「ついてきてください」って言ってた。
いつにも増して必死だと思った。
何かがひっかかった。

*

「これにて凱旋公演終了」

翔ちゃんが、ハッキリとそう言った。

思い返せば、ドーム公演は、「ドーム公演」としか言っていない。
4月は変えると潤くんも会報で言っていた。

どうしても立ち行かないこともあるだろう。
「追加公演」という縛りがある以上、大幅な変更もできるとは思わないほうがいいとも思ってる。

それでも。

その瞬間に、頭の中で瓦解していくのを感じた。

ここ状況に、納得してない。きっと。
次は、もっと上を目指した集大成が見れるはず。

そんなことを信じてもいいと言ってもらえたような気がした。

妄想でしかないけど。
どうせ答えも出ないことだ。

それなら都合よく自分の信じたいほうを信じようと思った。

気持ちがひらけて、ようやくコンサートを受け入れることができるようになった。
全てを割り切って、いつものようにはできないことを認める。
その上で、じっくりと観賞する。

オリジナルダンスも、また次にいつ見れるか判らないし。
久々に躍れて、見れて嬉しいのには変わらないから。

トルメンタの振りも、ホントに久々で嬉しかったし。
やっぱり、嵐の基礎が詰め込まれているしね。

気持ちがひらけたら、最後の挨拶もキラリと光っているように思った。
何かが解放された気分。
思いっきり、最後を楽しんでる感じ。

要するに、なんにしても気の持ちようなんだよな、と思いながら。

絶対、ドームにも行こうと思った。

それから、夏、だね。
あるといいな。
彼らの力を感じれる中に入れるといいな。


...



 

 

 

 

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