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2009年10月06日(火)
R134「渚橋」近くにあり、海に面したテラス席が有名なデニーズ逗子店が 9月28日で閉店したらしい。 自分も若かりし頃、湘南に行った時は何度も入ったことがあるれど、 なんか常に混んでいたイメージがあるな。 「逗子デニ」の名称で若いカップル定番ファミレスだったが オープンは1981年7月と他のファミレスが湘南地区に進出する前にいち早く出店。 海岸沿いの立地条件を生かした景観の良さと広い駐車スペースが売りで、 28年間も湘南の代名詞のような店だった。 ちなみに赤字経営で閉店ではなく、契約が切れたためらしい。 赤字どころか逗子店は全国約500店舗あるデニーズの中でも 1日当たりの売上高がトップになったこともある「超優良店」だった。 神奈川県内に約100店舗あるデニーズの中でも年間売上高は常に上位だし。
そんな「逗子デニ」だけど…特に思い入れはないなぁ。 もう何年も湘南に行っていないけど、確かに自分が車の免許を取った頃、 湘南に行っても食事する場所がなくて困った。 あの頃は今のようにファミレスやらオシャレなレストランなど 乱立していなかった。 そんな中で「逗子デニ」は重宝したけど、逗子で食事するよりも 東京に戻ってきて環八瀬田にあったアメリカ村の 「イエスタディ」や「プレストンウッド」に入って メシ食った方がシャレていたからな。 これからバブル期がやってくるぞーみたいな、ハイソな気分にさせてくれる アメリカ村の雰囲気は好きだった。
環八沿いにアメリカのホワイトハウスを彷彿とさせるような白亜の建物が並び、 いずれも店内はアーリーアメリカン調のデザインが施され、 「アメリカが空から飛んできた」という感じの異空間が創造されていた。 新しモノ好きな若者がそこに群がるようになり、駐車場には白いソアラや グロリア、スープラなどのハイソカーが順番待ちをして列を作っていた。
環八瀬田に誕生したアメリカ村…美しいといえば美しい。 しかし、虚しいといえば虚しい。 歳を重ねた今にして思えば、アメリカ村は夢の美しさと 夢の頼りなさを同時に持ったゲーム空間のようなエリアだったのかもしれない。 バブルがはじけたように今は跡形もないけど…。 いや、逆車線のデニーズ用賀店だけが、かろうじて残っているか。
あの頃の東京って、一瞬だけ飛んだのかもしれない。 着地点を見定めることもなく飛んで、思い切り虚空を駆け昇り、 そして泡のように消えた。 奇しくも1980年に発売された沢田研二の「TOKIO」は、 上昇気流に乗って夜空に舞い上がる東京の姿を、的確に表現した歌となった。
♪空を飛ぶ 街が飛ぶ 雲を突き抜け星になる 火を吹いて 闇を裂き スーパーシティが舞い上がる♪
電飾衣装にパラシュートを背負って沢田研二は歌った。 実態から逸脱したものがリアリティを持ち始める80年代そのもののように思える。 そこに描かれる浮遊感とゴージャス感は、まさにその後に到来する バブル時代の気分を、ものの見事に先取りしていた。 確か作詞は糸井重里だったが、今さらながら時代を先取りするセンスには驚かされる。 バブルを呼んだのは、まさにこの歌自体だったかもしれないとすら思う。 「TOKIO」の歌詞には以下のような一節もある。
♪欲しいものなら何もかも手に入る 海に浮かんだ光の泡♪
この歌が「バブルの精神を体現する」と言われるときに引用されるフレーズだ。 泡のように消えることが美しい。 そういう感性はモノを次から次へと生産し続けるためには、 片端から消費しなければいけないという、あの時代の感覚を反映している。 消費という概念に美意識が結びつき「消費の美学」などという言葉が 大手を振っていたのも80年代の特徴だったように思う。 だが、その消費の美学は地球の温暖化やエネルギー資源の枯渇、 そして大量のゴミの排出など、様々な副産物を後の時代に残してしまった。 あの時「TOKIO」と呼ばれたい異様な東京の姿も 「何だったのだろう?」という疑問とともに、 いまだに記憶の彼方から突然甦ってきたりする。
バブル世代、自分はまさしく、そう呼ばれていた世代のど真ん中。 バブルの恩恵を受けもしたが、バブルに弾かれた世代でもある。 だからこそ「TOKIO」の歌詞も理解や納得できるし、 「逗子デニ」にしても「アメリカ村」にしても記憶がすぐに甦る。 80年代、本当の青春時代はバブルと共にあった。 もう、あんな時代は自分が生きている間には来ないだろう。 いや、来なくていいと思う。と言うか、来ちゃいけない時代だろうな。
話を最初に戻すと、逗子デニの近くにはヨットマリーナや披露山公園などの 名所があるが、小坪トンネルも、ある意味で名所だった。 「車で通るとバックミラーに幽霊が写り、その幽霊を見ると気が狂う」とか 怖い怪談が口コミで広まった「隠れたスポット」だった。 実際、小坪トンネルって3つのトンネルが連続して連なっていて、 途中には右折するためのレーンがあり、怪談の広まった20年程前は信号がなく、 トンネルを抜けた直後に60km前後のスピードで疾走する 直進対向車の間を縫って横断するという構造になっていた。 この欠陥を見て「これじゃ、霊の仕業でなくても事故が起こる」と思ったけどな。 今も小坪トンネルって存在しているのかな? 確かめに行く気は全くないけどね。
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