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2006年06月28日(水)
来年2007年度より団塊の世代が大量に退職していく。 それにはらむ問題が2007年問題と名付けられている。 団塊ジュニア世代は現在30歳前半。 若者の側から見れば、世代交代のチャンスで 職にありつけるチャンスとなる。 現状の年金システムだと若い世代の金が今の団塊の世代以降の 人々に年金として支払われる。
何もしない政治活動の極点として国民年金の不払いがある。 若くなればなるほど支払わないのは当然? 今のままだとあの制度がもって10年?無理矢理20年か…? あの国民年金の制度は明らかにおかしいので、 このまま不払いを続け、改正またはオルタナティブな 選択肢を持つ必要があると思う。
少し前に菅直人・元民主党代表が「団塊党」なるものを立ち上げた。 党といっても政党ではなく、甘党とか辛党とかと同じ党。 団塊の世代は高度経済成長を支えた功労者である反面、 終身雇用制、年功序列制さらには年金の受益者としても 恩恵を受けれる立場でもある。 一方、今の若い世代は低経済成長を支え、終身雇用制はなく 年功序列もなく、年金ももらえない非常に不安定な世代に当たるわけだ。 加えて情報社会化によって、個々がばらばらになっている。 菅氏が主張する団塊党の人の意見を聞いてみると、 どうやら若い世代のこうした感受性を理解できていないらしい。 彼ら団塊の世代は学生紛争の当事者であり、 いわゆる共通体験をしてきた祭をよく知る世代でもある。 マルクスも、ろくに読まないで、ただ彼らは共通前提のもとで 祭がしたかった。そして実行した。 しかし結果は、浅間山荘事件に終息してしまい 未だにその不完全燃焼感が聞いた話だとあるそうだ。
若い世代には祭がない。バラバラだからだ。 祭には共通の前提が必要。共に生き、顔の見える共通の体験があるからこそ、 祭りでカタルシスが得られる。 2002年の日韓ワールドカップでは、偶然舞い降りた プチナショナリズムでバラバラになった若い人でも祭的な体験ができた。 あの味が今も忘れられず、若い人は祭がしたいのかもしれない。 今回のドイツW杯やWBCでは遠い地のために 日韓W杯の時のような祭にはならなかったし。
だが、祭を実行するそのノウハウが分からないのだろう。 バラバラになってしまって…。
そこで団塊の世代の登場だ。 彼らが祭を実行し、ノウハウを若い世代に伝えてもらいたい。 自分は安易にナショナリズムを勧めているわけではない。 もっと小さな、小さな地域での顔の見えるコミュニケーションでの 祭の重要さを主張しているだけ。 だって、誰にだってバーッとやりたくなる時ってあるでしょ。 若い人たちは今後、不安定な社会でも、 どうにか生きていかなければならない世代だしね。 顔の見えるコミュニケーションに対しては、個室化情報化で免疫がないだけ。 なので、たまにはカタルシスが必要だ。 それが広い意味で若い人たちの犯罪の抑制にもなるはずだ。
具体的にどういう祭を創っていくかは、これからの創意工夫。 ネットや携帯、メールなどコミュニケーションツールを十分生かして、 みんなでひとつになれる新しい祭を創りあげられたら最高だ。 ノウハウは団塊の世代に教えてもらって、 若い世代で創造していける世の中がくれば幸せだと思う。 そうそう祭自体には、とりあえず一緒に盛り上がればいいので 今の若い人が不得意なコミュニケーションなんて ある意味ではいらない楽しさがあるしね。
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