Web Masterの日記



藤田田

2004年05月06日(木)

今日の日記は、もっと前に書こうと思っていたことだったが、
ゴールデンウィークがあったので、なかなか書くことができなかった。

先日、日本マクドナルドの創業者でもある藤田田氏が逝去された。
自分が初めて就職したのが、この日本マクドナルドである。
就職内定を受けてから大学時代に藤田氏の著書を何冊か自主的に読んでみたが、
なんでこの人は、こんな突飛な発想が出来るのだろう?
この人の頭の中は、いったいどーなっているのだろう?と驚かされることばかりで
さすが東大在学中から藤田商店という貿易会社を興していただけあり
企業家のカリスマ的存在なのも納得してしまうほどの
偉大な人物だというのがよく分かった。
実際、1971年に銀座にマクドナルド1号店ができた時、藤田氏はまだ45歳の若さ。
それから僅か4年後には年商100億を超え、さらに1号店設立から20年で
年商2000億まで突破してしまった。
近年、ここまで短い期間でこれだけ成長した企業って他には見当たらない。
これも全て「ユダヤ商法」を実践してきた藤田田氏の
実力であるといっても過言ではない。
著書「ユダヤの商法」や「天下獲りの商法」は
企業家にとって、まさにバイブルだろう。
だいたい座右の銘が「勝てば官軍」と言い切るところがスゴイ。
これからはコンピューターの時代ということを80年代初頭に考えていて
ソフトバンク社を設立した孫正義氏が学生時代に
アメリカでコンピューターの勉強を勧めたのも藤田田氏であることは有名な話だ。
まさに有言実行の塊のような人で、
男はこうでなきゃダメだと著書を読みながら思ってしまったことが甦る。
自分が入社した頃、バリバリの外食産業トップで負けなしの時代、
どんどん店舗も増え、勢いのある頃だったので
同じ大学を卒業し、様々な企業へ就職した連中に比べ給料もボーナスも一番だった。
なんせ入社してからすぐにトレノAE86からカリーナEDの
最上級グレード(サンルーフ、スポイラー付き)に現金で買い替えることが出来たし
親元に住んでいたので、毎月かなり金が余っていた。
あの頃、テレビやビデオも新しく買い替えた覚えがあるし、
貯金も毎月けっこうしていたな。
仕事はけっこうキツイけど、見返りはちゃんとある会社だった。
今考えれば、あの頃に貯めた金、もっと大事に使っていればよかった。
あの後、バブル時代が来て、さらに湯水のように使いまくっていたからな。
バブルが去り、気づいたら全然なくなっていた。( ̄◇ ̄;)

日本マクドナルドに入社してから、実際に藤田社長を見たのは2度しかない。
入社式では合えなかった。残念ながらアメリカへ行っていたために
ビデオで社長挨拶が流された。
初めて藤田社長と会ったというか見かけたのは、
配属された新青梅田無店のリニューアルの日、
奥さんと一緒に訪れてくれた。ちゃんと普通に一般客と一緒に列に並び、
確かフィレオフィッシュを注文したことを覚えている。
ちょうど自分はリニューアルオープンの大混雑の中、
まだマネージャートレイニーの段階ながらハンバーガーなどの
製造をコントロールするプロダクションコントローラーの任に就いて
必死に「12バーガー・ターンレイ・プリーズ!」とか
「フライヤー!12フィレ・プルレイ・プリーズ!」とかアルバイトに指示していた。
そこに藤田田社長来店の報。緊張しながら、できたハンバーガーなどを置いておく
トランスファービンの間からレジで注文している藤田社長を見たのが一度目。

2度目は完全なる偶然。マネージャートレイニーは配属店舗で、
ある程度の修行をすると1週間ほど、新宿住友ビルにある本社の中にある
ハンバーガー大学に通い、次なるステップに進む講義や試験を
受けなければならない。
そこを卒業し、はじめてマネージャーとして認められる。
店舗では土、日は必ず出勤だったが、このハンバーガー大学通学中は土、日が休みで
なんか普通のサラリーマン気分になって通勤した記憶がある。
その本社のトイレで偶然にも社長と遭遇してしまった。
講義と講義の間の休み時間、トイレに行ったら社長がトイレから出てきたのだ。
その顔はすぐに藤田田氏だと分かった。
思わず「おはようございます」と挨拶したら「おはよう」と返してくれた。
トイレから教室に戻り、同僚に話したら羨ましがられ、ちょっと優越感に浸ったな。
だけど、社長も社員と同じトイレを使うのか…。
そう考えると、雲の上の存在だった人がなんか身近な人に感じられた。
同じ会社というか、藤田氏の興した会社にいながら、
たった2度しか会ったことはないが自分はまだラッキーな方だろうな。
新入社員で入社1年以内に2度も会ったんだから。
大きくなりすぎた日本マクドナルドの社員の中には
入社してから辞めるまで一度も会ったことない人もいるという。
実際に自分と同期で入った連中でも会ったこと、
見たこともないという人は大勢いた。

尊敬する企業家はマクドナルドを辞めた後でも藤田田氏だった。
自分が辞めた後、マクドナルドは様々な展開を行っていた。
バリューセット、平日半額、80円バーガー、店内公衆電話設置、店内ATM設置、
マックビジョン設置→撤去、米トイザラスと提携し日本トイザ“ら”ス設立などなど。
2001年には株が店頭公開。2002年には社長から会長になり、一線から退いた。
さらに2003年には高齢を理由に日本マクドナルドを退任された。
この時、藤田氏は76歳だった。
それから僅か1年後、様々な波と戦い続けた男は静かにこの世を去った。

藤田田の前にマックなし、藤田田の後にマックなしだろう。
マックがマックとして、マックであり続けたのは、
一重に藤田田氏のマックだったからだ。藤田氏なしのマックなんか考えられない。
だから、マックは藤田氏の退任とともに死んだ…。
客がマックを支えたのは藤田氏の藤田氏っぷりに共鳴したからであって
店舗数がねずみのように激増したのも、集中購買方式で円高に振れても問題なく
食材が買い付けできたのも、バリューセットとかいって小手先のメニューで
客が逃げなかったのも、全て藤田田氏の商才によるものだといってもいい。
能力主義を標榜した人件費の削減、メニューの再編成と称した
各国共通食材のグローバル化と、それに伴うバイヤーの解雇、
地域にあわせた店舗開発という名を借りた不採算店舗のリストラも行い
まさに「勝てば官軍」のモットーに沿った経営を行ってきた。

口は災いの元という理由で口に十字架を加えて
「田」という名前になったと著書で知った。
それとは逆に非常に雄弁なビジネスマンだったという印象が強い。
著書など名前の横には必ずには必ず「“でん”と発音してください」と
書いてあったっけ。
一線を退いてからは、その口からでる言葉を聞く事はなかった。
こんな時代だからこそ、カリスマ企業家としての言葉をもっと聞きたかったと思う。
でも、立ち止まらずに人生を駆け抜けてきた人、
やっとゆっくりと天上界から日本ビジネス界を見ているのかも。
日本の企業界にはもう、これほどクリエイティブな人はいないだろう。
今の企業家・起業家に求められているのは、
ひょっとすると藤田氏が持っていたような「えげつなさ」を伴う
真摯な努力の姿勢なのかもしれない…。
「勝てば官軍」藤田氏のマクドナルドにピッタリの言葉である。
謹んでご冥福をお祈りいたします。


今日の「うたばん」におけるモーニング娘。の扱い…。堕ちたな。
保田の卒業、なっちも卒業し、いじれる人がいなくなった。
内部で第二の保田が作れなかったということで、
外から保田の代わりを連れてきたのだろう。
以前、松浦亜弥のときの企画そのままだったわけだが、
昔からの「うたばん」の手法として、トークの発展が望めない、
いじりずらい相手に対しては芸人や変なおっさん、外国人を呼んできて
そっちをいじるというパターンがあるが、まさに今回は、そのパターン。
今までモーニング娘。で、それがなかったのは、大勢のグループだけに
自前でオチ役、いじられ役を用意できていたからであり、
そこがモーニング娘。の強味であった。しかし保田の印象が強烈過ぎた。
それがなくなったことが「うたばんスタイル」に合わなくなったということ。
このままの現状ではトークよりも昔のようなゲームの方が良いのかもしれない。
ゲームには計算外なおもしろさ、新たなスターが生まれる可能性もある。
しかし、紺野事件以降、それができなくなった事情があるので残念である。
もう、このままトークの時間も短くなり、そのうちMAXのように
ゲストに呼ばれることもなくなってしまうかも…。
まぁ、「うたばん」は基本的に歌番組ではなくバラエティと思っているが
時々、曲のカメラワークなんかベストの時もあり、
やっぱ歌番組としても期待してんだよな。

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