川底を流れる小石のように。  〜番外編〜  海老蔵への道!
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2004年04月17日(土) 「新之助について」 渡辺保講演@放送博物館


 NHKや放送大学でお馴染みの渡辺保氏。
 いつもこちらの劇評が更新されるのを楽しみにしていたし、
 そしてやはり「歌舞伎ナビ」にはお世話になっているので、
 今日の講演会も楽しみにしていた。

 「NHK番組を見る会」の定員は100名とのことだったが、
 ありったけの椅子を並べて、おそらく定員オーバー満員御礼の状態。
 放送博物館の方達も、恐縮しておられた。

 市川家における「海老蔵」という名前について。
 市川家の成田山信仰について。
 「襲名」の意味について。
 襲名というのは、先代海老蔵の魂を受け継ぐという意味を持つ。
 新之助は十一代目市川海老蔵を襲名するわけだが、
 それは、これまでに十人の海老蔵がいたということではなく、
 十人分の魂を1つに引き受けるという、とても重い意味のあることである。
 
 坂東三津五郎が襲名するとき、浅草で行われたお練りの際、
 自分一人で歩いているのではなく、
 代々の三津五郎が一緒に歩いている気がしたと言っていたのだそうだが、
 それが、まさしく襲名の姿であろう。
 
 渡辺さんがはじめて新之助にあったのは、高麗屋の人々を追ったテレビ番組作成の時。
 まだ学生服姿であったそうだ。
 その数日後に菊五郎の「実盛物語」を一階の最後方の席で観ていると、
 隣の席に座ったのが、学生服の新之助であった。
 丁寧に渡辺さんに挨拶した後、熱心にメモをとりつつ実盛に懸命に見入る新之助を見て、
 ああ〜この役がやってみたいのだろうな、と思われたとのこと。

 それでも「車引き」の松王丸をみた時には、
 氏曰く「外人がやってるのかと思った」そうな。
 {後に周りのおばさま方が、あの時は声変わりだったからねえ〜とおっしゃっており、
  なるほど、と思いつつ、ファンというのはありがたいものだ、とも思った)

 それでもともかく、新之助は100年に一人の逸材と氏は熱く語る。
 ならばこれまで、私たちが観てきた名優といわれた人たちは?ということになるが、
 上手い人はいくらでもいるが、あの器の大きさは計り知れない。
 あの器でもって、これからも勉強し輝き続ければ、どれだけ大きな役者になることか。

 衝撃を受けたのは、浅草公会堂の新之助の弁慶だった。
 富樫を前に、のるかそるかの大博打を打つ弁慶の緊迫感、大きさを、
 あれほど観客に伝える弁慶を観たことがない。
 (もちろん上手なのではありませんよ、ともおっしゃってた)
 (弁慶を歌舞伎座でやらせてあげたかった・・・とも笑顔でおっしゃっていた)

 他にも、12月の歌舞伎座実盛を例にあげ、
 あの首の傾げ方ができるのは、富十郎と新之助しかいなかった。
 あれが出来たのは、それだけ勉強し研究したきたからなのだろうとのこと。
 今日のお話を聞いてから、もう一度ここを読んでみると、成る程〜思う。

 (先日読み終えた関容子「海老蔵そして団十郎」の中にも、
  新らしい研究熱心なエピソードがいくつか語られていた。
  お弟子さんに「ねえ、一緒に研究しよう」と言い出すと、なかなかしつこくておさまらない話。
  富十郎さんにおじさんはどうして朝っからあんなに声が出るんですか?
  というなりお腹のあたりに手を当てて、アーと言ってくださいと一途に聞いた話。
  この本を宮尾登美子「きのね」と一緒に読むと、さらに興味深く読めると思う)

 そしてやはり「助六」の語りについて。
 助六の出は、花道を河東節にのってゆったりと登場するのだけれど、
 これが決して踊りではなく「語り」と言われる意味が
 今まで、どうしても渡辺さんはわからなかったとのこと。
 それが2000年の新之助の語りを観て、はじめてわかった。
 助六は、あの出で、リズムに乗って流れるように踊っているのではなく、
 ぷつりぷつりと切れる、1つ1つの形で、
 俺はこういう男だ!と語っていたのだ。
 
 その頃の新之助を追ったテレビ「情熱大陸」では
 新之助の傍らに十五代目羽左右衛門の写真集が写っているのを発見し、
 渡辺氏は嬉しかったそうだ。
 (ちなみに、この写真集、奥村書店では4万円で売られていた)
 
 このあたりのことは、歌舞伎ナビでも読んでいたのだけれど、
 やはり目の前で渡辺さんの口から、熱く語られるのを聞くと感激する。

 よく○○さんが好きなのでしょう?とか、聞かれるが、
 劇評というのは、100%客観では書けないものです、とおっしゃっていた。
 でも、それと同じく100%主観でも書くことは出来ないのだそう。
 でも、こちらにお集まりの皆さん、
 新之助を応援していれば間違いないですよ、と笑っておられた。
 また、新之助があれほど勉強して研究熱心なのだから、
 観る側も、ぼーっと観ているだけではなく勉強もしなくてはね!とも。
 
 その後、昭和60年に放送された「大看板 団十郎への道」45分のビデオ上映。
 成田山での修行、お練り、挨拶回り等々、
 襲名のあれこれで大忙しの、当時の団十郎さんやママのかたわらで、
 ひよひよとあどけなく、小さな7歳の新之助も写っていた。
 外郎売りの早口言葉の練習風景、小さな靴下の足が正座して、
 うぶげポワポワの口元で、おぼつかない早口言葉。
 大勢の方は、その姿を見て、微笑ましく笑っておられたけれど、
 私は何故か、不覚にも泣いてしまった。
 目許には今の新之助のおもかげがある。
 この小さな人が、
 今、もうすぐ迎えようとしている時間の重さや貴重さを、勝手に思ってしまった。
 団十郎さんの義太夫のお稽古風景も、
 見ていても息が詰まる迫力だった。
 そのとき教えておられた文字太夫さん、さすがに素晴らしかった。
 力強いのに柔らかで、張りのある良い声。
 これはやはり文楽も観なければ!と思う。
 生の舞台は間に合わなかったけれど、勘三郎さん、
 (挨拶に行った団十郎さんとテレビカメラに、こんな格好でいいの?と笑う姿、
  舞台や楽屋のエピソードは沢山聞いているけれど、
  ああ〜こんな雰囲気だったのか〜と思う。)
 美しかった歌右衛門さん、優しい笑顔が大好きだった先代の仁左右衛門さんも
 久々に画面で見られて嬉しかった。

 あの番組でも「襲名披露初日まであと20日」などとテロップが流れていたが、
 五月一日の初日までは、あと12日!
 考えただけで、こちらまで緊張してくる。

 番組鑑賞後、質問のコーナー。
 新作については、どう思われますか?の質問に対して、
 もし役者が、本当に新作を演りたいと思っていたら、
 会社や人を介してではなく、役者自身が作家にお願いにくるものだそうだ。
 じいちゃんが大佛次郎に出会えたように。
 なので新之助もいつか
 新之助自身を見て、新之助の為にホンを書いてくれる作者と出会えればいいと思うとのこと。

 最後に市川家の大きな特徴である、
 あの目をともかく5月6月は観てやってくださいと、満面の笑み。
 渡辺先生も、もっと話していたい、
 私たちももっともっと聞いていたい、という、
 熱い雰囲気の中、充実した講演会はお開きに。

 
 帰り道、ほてった頬に風が気持ちよいので、
 歌舞伎座まで歩く。
 (五月の三階席を一枚、買い足してしまっった・・・)


 ○○追記○○
 5月10日(月)後8:00〜9:50 ハイビジョン特集
 「十一代 市川海老蔵誕生! 飛翔の時26歳の成田屋 」という番組があるそうです。
 ハイビジョンかあ・・・。
 他にも歌舞伎チャンネルでは、五月一日の口上を生中継することに!

 そんな中、まだチケットは手許に届いておりません。
 気持ちばかり盛り上がるものの、
 いつ観劇できるのかもわからず、ため息が出ます。
 

 

 


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