なべて世はこともなし
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2005年09月04日(日) これはうちだけですか?使えん同居人どもについて怒る

前日の日記で「週末に連続更新します」などとほざいておきながら、気がつけば、日曜日ももう午後10時です。もろに責任転嫁発言をさせてもらうと、悪いのは私じゃあありません。うちの同居人です。


理由:家の掃除に半日かかったから。


てめーら、ざけんじゃねえと言いたい。なんで俺が、毎週末に半日もかけて家の掃除をしなきゃいけないんだ。今日はヒサンでした。何せ、お客さんが来てたおかげで、先週末の掃除をパスしてたので。つまり、家は2週間近く掃除されていなかったわけ。


「じゃあ、掃除当番表でも作って順番にやればいいじゃん」とお思いの方、ご意見ごもっともですが、そうは行かない理由があるのです。


まず、私は個人的に「規則」というのは少なければ少ないほどいいという理論の信奉者です。社会の一員である以上、規則は必要です。その点に異論を差し挟むつもりはありません。でもね、規則なしで済むなら、それにこしたことはないと。


何のこっちゃと言う方。例えば、道を走っていると規制速度ってありますよね。あれ、道路上での安全を確保するために必要なものです。でもね、道路を走るみんながみんな、常識を持って、安全運転を心がけることができるなら、そんなもんいらんでしょ。


常識で考えれば、ダブリンの町の中を100キロでぶっ飛ばそうという気にはならないはずで。そこに規制速度があるのは、常識の尺度が違う人がいたりだとか、常識がない人がいるからに他ならないわけで。残念なことに、この世の中には悪人だの常識のない人だのがいるおかげで、いろんな規則があるわけです。まあ、言ってしまえば、世の中は「性悪説」のうえに成り立ってるわけですな。


で、話をSnigel家に戻すと、私としては、そういういらん規則を増やさずとも常識の範囲として、家の公共のスペースが汚かったら、掃除をしてほしいわけです。で、うちの住人はこの常識の尺度がちがうのか、常識がないのか知りませんが、掃除をしないわけ。


じゃあ、規則を作ればいいということになりそうですが、コドモ時代にイナカの学校の校則だとかいうわけのわからんものにがんじがらめになってたトラウマのせいで、規則を増やすということに対し拒絶アレルギーが働いてしまうのです。


さらに。仮に掃除の当番表を作ったとしてもたぶんうまく行きません。もうかれこれ一年くらい前の話ですが、うちの住人のひとりが珍しく「トイレの掃除をした」と胸を張るので行ってみると、なんのことはない、便器の中をブラシでなでただけ。


便器周り、私が自腹を切ってトイレクイックル(のアイルランド版)を買っているけど私以外に使った人はいません(つまり、便器周りを掃除した人はいないということ)。床もゴミだらけ、トイレマットはこれまた私以外洗濯をした人がいない(2週間に一度見るに見かねて私が洗います)、もちろんゴミ箱のゴミはそのまんま…と、どんなに妥協しても掃除したとはいえない状態なわけでして。そんな程度の掃除で「ボクは掃除したけんね」などと威張ってほしくないわけです。かくして、今日も自分で掃除をした次第。


腹がたつのが、「君の瞳は星だらけ」のハゲフランス人。…はいはいはい。ハゲなどと人の身体的特徴をあげつらうのは良くありません。だけど腹がたってるから、今日だけは言わせてください。この、非モテハゲ太鼓腹男はリビングで暇そうにテレビを見てたくせに手伝おうともしない。


上記の理由で冗談にも手伝ってもらおうなんて考えてませんでしたよ。だけど、ポーズくらいとれっちゅうの。「何か手伝おうか」くらい言えっての。人をお手伝いさんか何かと思ってるのかお前は。流しの中に汚れた皿を入れておいたら、いつか勝手にきれいになると思ってるのか。仮に洗ったとしても、洗った皿が勝手に戸棚に戻ると思ってるのか。ガスコンロのふきこぼれは勝手に蒸発してきれいになるのか。


お前ガキの頃家の手伝いとかしたことないだろ。このマザコンめ(って、ここまで書くとちょっと読者さんも引いてくるなあ。ちょっとトーンダウンしつつ、「今日だけは勘弁ね」というわけで)。ちなみに、テレビを見ない私はゆえにリビングを利用しませんので、リビングルームだけは意地でも掃除しません。ソファーの裏に埃が貯まってるのを知ってますが放置してます。


こう書くと、私はいかにも病的な潔癖性に聞こえるかもしれませんが、実はそんなことはありません。例えば自分の部屋。はっきり言って散らかってますよ。机の上だって本を開くスペースすらありません。押入れだって開けると確実に雪崩が起きます。だけど、これはいいのです。だってここは個人のスペースなのですから。


私には不思議な二重基準があると自分で自覚してます。例えば、洗濯。シーツは週に一回(どんなに最低でも2週間に一回)洗わないと気が済まない人です。ワイシャツもキチンとアイロンをかけなければ会社には着ていきません。そのくせ、会社の机は「爆撃を受けた直後のよう」(同僚談)だったりするわけです。この二重基準のおかげで、「自分の部屋は汚くてもいいけど公共スペースはきれいじゃないとダメ」というわけのわからん理論が少なくとも自分の中では成り立ってしまうわけです。


「じゃあ、Snigel家の住人は自分の部屋の掃除をするの」とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、私はします。毎週掃除機をかけて、日本から持ってきた優れもの、コロコロ(粘着テープ)で掃除します。そのあとすぐに汚れてしまうというのがオチなのですが。


でもね、他の連中に至っては、自分の部屋の掃除機をかけてるのを見たことがない。シーツだって、ひでかすが洗ったのを数回目撃したけど、フランス人がシーツを洗ってるのを見たことがないし、アイルランド人にいたっては、シーツを使っていないというとんでもないオチがありまして…。アイロンだって、私以外に使う人がいない。


まあ、この辺の愚痴をあげはじめるとキリがないのでこの辺で。うちだけなんですかねえ。それとも他の家をシェアされている方も似たりよったりなのでしょうか。今、酒を取りに台所に行ったところ、すでにテーブルの上には雑誌等が散乱し、いちおうは洗われた皿が棚にしまわれることなく流しの横に積まれてました。合掌。




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