いつもは冷房のかかりっぱなしの部屋にいる。 以前はそれでも歩き回っていたのだが、ここ数日はずっと座ったままだ。おかげでほんのわずかだった運動量もなくなって仕舞って、体力的に温存状態。 その所為か、どうにも体調が悪い。 体調……ではないか。 調子、と言った方がいい。 体調に限らない、私という個体の調子が、わずかづつ狂っているようだ。 もともと狂っていたところに拍車がかかった。
気分転換に、と外へ出た。夕刻、16時過ぎ。 この時間に目的もなく外へ出、歩くのは久し振りだった。 陽はかすかに朱に色づいて、夏至を過ぎて一月も経つのだと言うことをやっと思い出す。 目的はなかった。だから携帯電話だけジーンズに突っ込んだ。 ただ、気分転換をしたくて外へ出ただけだ。少し迷って近くの本屋へ行くことに決めた。のんびり歩いた。
この時間に外に出るのは久し振り――とは、先に言った通り。 冷房で凍えた肌に、ぬるい空気がまとわりつく。不快ではない。むしろ覚悟していたより涼しかったくらいだ。 出した肩に、じり、と陽が照る。それすら久し振り。
本屋では雑誌を眺めたり、新刊を見たりして時間を潰した。 時間を潰す気侭な目的で何かをしたのすら久し振りだ。 私は最近、どういう生活をしていたのだろう? と、自問した。
ふらふらっと帰る道すがら。 何気なく、側の高いビルディングを見上げた。 高い、といっても10数階程度。そのほんの側を歩いていたから、空を真上に仰ぐような視線になった。 と。 これもまた久し振りだなあ……と思ったのだ。 見上げることが。久し振りだと。
空を見るのは好きだ、視線を上げるのも好きだ。 けれど、地面からそびえ建つ物を見上げる動作は久し振りだった。 ちょっとだけ、その感覚に感動した。
そしてちょっと思い出した、昨日のこと。 久し振りに高速エレベータの窓際に陣取った。 10階から、地上階へ。その距離をひとつのハコは一気にすべり落ちる。 全面の窓の外には大きな道路を挟んだむこうのビル。真下を走る車。そんなものが奇妙な速度で近づくのを眺めていた。 エレベータが高速で降りる時のほんのわずかな、お遊び程度の浮遊感。 その途端、何か判らないけど感動した。何ということもなく表情が歪んでしまった。
そもそも、日常ってやつはそんなに捨てたものでもない。 実は、何気ないなんでもない、そんな動作や気持ちやなにかが退屈な時間として織り成されているのが日常であって、けれどその何でもない何気ないものは驚く程に大切なものなのだ。 失いかけて気づく。 いや、―――思い出した、その事すら、失った証拠でもある。 だから私は今回、「久し振りだ」と気付いたことで、失った物を確認したことになるのだろう。
だから、思い出した筈の感覚に新鮮味を感じて、一瞬泣きそうになる。
・ ・ ・
私の中には、もうすでに抜け殻になってしまった感覚がいくつかある。
それは抜け殻として大切にとってある。もちろん、忘れてしまって抜け殻の痕跡すらない感覚、というのも沢山あったのだろう。それでもいくつかは、昔持っていた感覚が抜け殻として残っている。
私はそれが以前は本物の緊張と気分と思考を伴った感覚であったことを知っていて、ほんの時折、またその感覚を蘇らせられないかと抜け殻に耳を澄ますことがある。 けれど、その抜け殻は抜け殻としてそこにいるだけで、決して応えてくれない。 どうやら、蘇ることはないようだ。 私はその抜け殻を抱えて、どうしようかと思う。
そこで私がしたことは、その感覚を出来るだけ正確な(だと思われる)言葉でコーティングすることだった。
抜け殻は言葉で出来ている。 失われた感覚は、私だけに通じる言葉で、抜け殻として存在している。 その抜け殻すら、どんどん色褪せて風化していくけれど。
それはそれとして、大切な何かなのだ。
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