言葉ほど、信用しているものはない。 けれど、 言葉ほど、信用していないものもない。
私は言葉とは常に表現の基本として付き合ってきた。 ずっとずっと、私は言葉で感情処理をして、言葉で理論武装をし、言葉で自分を守り、言葉で相手を傷つけてきた。幼くて今以上にうまく言葉が使えない時には、よく手も足も出していたのだけど、だからこそ余計に言葉をうまく使いたかった。 これは多分、私の家庭がそうだったからだろう、と思う。 理論(個人的な理論だけれど)で喧嘩をする家庭だった。 言葉で一方的に押さえつけられるたびに、言い負かせるだけの言葉が欲しいと……ずっとそう思い続けてきた。
そんな私にとって、言葉は武器だ。
けれどそれは同時に「言葉で伝える」ことに必要以上の価値を置いてきた、という側面もあって、それは絶対に否めない。
だから私にとって、言葉はこれ以上ないくらいに 大切な自己表現の手段でも、あるわけで。
だからこそ私は言葉を信用しない。 そしてそれと同時に、言葉の持つ力を信じている。
言葉ほど、自分をうまく守る手段を知らない。 言葉ほど、自分をうまく伝える手段を知らない。 私が、言葉ほどに慎重に選ぶものはない。 いかに自分の感情を押し殺して相手に虚像を見せるか。 いかに自分の感情を吐き出して相手に実像を伝えるか。
それはまったく相反することなのだけれど、 私にとってはどちらも同じだけ大切な事柄。
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