いいことあった
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2006年03月12日(日)

風が強くて外でぴゅーぴゅーいうので、ケロが窓の外を指して「音するねー」。激しくなると「こわいー」と私の後をついて周り、外出した時は風が強すぎて泣きそうになっていた。

ケロが「プーさんのはちみつだいすき」というシリアルを気に入って、中に少し混ざっているキャラクターの形のクッキーをよって食べてしまう。残りを私のお皿に移す悪知恵っぷり。家人に「さすがあなたの娘ね。きっと3人で柿ピーを食べると二人がピーナッツばかり食べて私が柿の種しか食べられないんだわ」と非難しておいた。柿の種だけの人生なんて嫌だ。

ガッサン・ハージ「ホワイト・ネイション−ネオ・ナショナリズム批判」(2006-042)
保苅実・塩原良和訳(平凡社2003年8月)

レバノン系オーストラリア人のガッサン・ハージによる「多文化主義政策」批判。
邪悪な白人ナショナリスト、善良な白人ナショナリスト、ホワイト・マルチカルチュラリズム、ホワイト・ナショナル動物学、西洋社会における「アジア」と白人性の危機、多文化的<現実>の封じ込め、という章立てで、一般にレイシズムと思われるものはナショナリズムであり、レイシズムに反対する立場にいる良識人の態度の多くは「寛容か非寛容かを選ぶ権力が自分にある」という上からの視点のものであり、どちらも相手を客体化し、自分は主体であるという幻想を抱いている、という指摘にはっとする。

ジェンダーバイヤスの場合にはそういう「ちょっとまてよ」にひっかかりやすいのに、「国家」「政策」レベルでは見落していたことに、自分が「日本国内の現象に関しては意見を述べる権力を持っている」という幻想を抱いていることに気づかされた。つまりジェンダーの場合は自分を「向こう側」だと思っていて、日本の場合は「こちら側」だと思っているということだな。
ハージもこの問題については「向こう側」の立場で「ちょっとまてよ」を色々感じたのだろうが、すごいのはそこからの明確な論立て。

更に多文化のアピールが、植民地時代の博覧会と同様、それを展示すること=所有していることの誇示であるという指摘も言われてみればなるほどと思う。また最近の動物園について「より自然な環境と大きな自由を動物に与えようとする方向に向かって」いることと、多文化主義政策の共通点の指摘もきついけど頷ける。

そして自分が生来持っている資質を理由に「自分はもっと成功する可能性があるから他の奴らとは違う」という幻想を抱き、更にそれにより自分と同列の周囲を自分の足を引っ張るものとして攻撃するあたりは、あれやこれの理由として納得のいくものだった。

一回読んだだけで読み込んだとは言えないが、確かにすごく面白い本だった。また読み返したい。


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