やはりエアコン修理は明日に延期。
ケロはこの間買ってあげたプラスチックビーズを入れたり出したりしている。取っ手つきの容器を自分で持って「きれーねー」と嬉しそう。色が混じるときちんと分けなおしている。
ポケットがたくさんついたズボンを自分で引き出しから出して履き、「いきっと(ポケット)、いっぱーい」と喜んでいた。
夜、自治会の新年会で元職人のYさんがお寿司を握ってくれた。すげーうまかった。
ばりばり読書。
鶴見和子「きもの自在」(2006-010) 聞き手 藤本和子 昭文社
社会学者の鶴見和子さんは1年365日着物を着るのだそうだ。着物に対する志向(嗜好)の明確なのに惚れた。着物は馴染ませるのじゃなくて色をぶつけなくちゃいけないのだそうだ(洋服はブレンドだけど着物はコントラスト、と。これが難しいんだよなぁ、着物初心者には柄on柄のぶつけ方が分からなくて。)そして世界中の布を着物にしたり帯にしたりして着こなすのが素晴らしいわ。 聞き手の藤本和子さんは黒人アメリカ文学者で配偶者はユダヤ系アメリカ人だそうで、衣類の共有についてアフリカ系アメリカ人家庭のスタイルとイスラエルのキブツについての話が引かれたりしてエキサイティングだった。
幸田文「父 その死」(2006-011) 新潮社
どうやら文庫「父 こんなこと」と同じ本だった。でもずいぶん前に読んだものでうろ覚えのところも多く二度目でも楽しめた。桜と紅葉の振袖の話も載っていた。
青木玉「幸田文の箪笥の引き出し」(2006-012) 新潮社
さらに幸田ファミリーリーディングで青木玉さん。鈍色(にびいろ)に関する金田元彦さんの記事から先日読んだ本の対談相手の吉岡幸雄さんと知り合った様子が書いてあって納得。対談の内容に共通する話がだいぶ多いんだけれど。(対談の方が親切すぎて逆に話題が薄くなってる気がするな。) 黒い羽織が似合わない娘のために小紋柄をはめ込むなんてセンスは真似しようにも真似できないが、色々な着物のエピソードが読めて楽しかった。
幸田文「きもの」(2006-013) 新潮社
これも再読なんだけど、読んだ頃は着物に興味がなかったので読み飛ばしていたことがぐっと私に近づいてきた。「昔は寒いときに着物下に綿入れの筒袖胴着を着ていたらしい」「やっぱり私もるつ子と同様ウールの着物だめかも」「手拭いで作った浴衣を寝巻きにする話は朝岡康二『古着』にも出てきたな(あの本にもこの本が出てくるけど)」等々。
朝岡康二「古着」(2006-014) 法政大学出版局
労働着の成り立ちはどのようなものであったかの考察とか、東北地方の労働着は継ぎが何重にもなっているが袷とは違い、単にすることを想定していない(袷と単の衣替えは関西の風習ではないかとか)という図解とかも面白かったし、石油製の洋服がグローバルに古着として出回る話はキモノに関係なく面白かった。 常々「古着」という有価ゴミの行方は気になっていたのだが、綿メリヤスがウエスとして需要がおきたのは日清日露戦争あたりの戦艦の整備や銃の整備からだという話とか、日本製の女性下着はアジアの女性に人気(あまりゴミで回収できないので、少しづつ溜めて出荷するそうだ)とか、コンテナでアジア諸国に出荷して仕分けし、着物だけは民族衣装で海外の需要がないので日本に戻すとか、そういう話は今まで漠然と疑問に思っていたことなので興味深かった。
宮尾登美子「きものがたり」(2006-015) 世界文化社(1999年)
自分の着物を披露する、本人も恥ずかしげな本。やはり人の鞄の中身とか箪笥の中身とかって見せてもらうと楽しい。 冬牡丹の柄の着物はそれと分かってくれる人がいないと季節外れの柄だと思われるから着にくいとか、芸者衆の着物の話なんかが楽しかった。
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