いいことあった
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2005年03月21日(月) 夕食はご飯、芋と魚1切れ 農水省が輸入停止時の献立

タンパク質が肥満改善=慶応大などマウスで確認
始祖鳥より原始的な鳥化石 中国、1億4千万年前地層
「古い欧州」は正しい表現 米長官、また自己弁護 (共同通信)
海賊に連れ去られた邦人ら3人、無事解放 (ロイター)

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16日の日記の「淑やか/淑子」の転訛?話に反応があったので、自分でもちょっと真面目に調べてみた。開かずの間自室の古語辞典では「とし(やか)」も「しと(やか)」もみつからず、しかし「とし」の読みで宇津保物語の登場人物の名前があったのでやはり「とし」の方が古いようだ。漢和辞典では人名で「とし」の読みがあるだけ。国語辞典では「淑やか」に常用漢字の読みにはないという▲印がついているだけ。うーん元は「としやか」だったんじゃないかという感じがあるが、google君も知らないみたいだ。
(後で図書館へ行ったのにすっかり調べるのを忘れていた。)

ケロと図書館へ。いつもは図書館近くの公園の砂場で遊ぶが、まだ砂場着を作っていないので勘弁してもらった。図書館ではケロの本9冊、自分の本もたくさん借りてずっしり。
スーパーで買物したらレジ前でおはぎバイキングをやっていたが、餡の入っていないものがなかったので(家人は餡が苦手)家で作ることにした。普段の食事の支度はケロ都合により自分を甘やかして手を抜いているくせに、こういうものを作る余裕があるってことはやっぱり普段さぼってるんだよなぁ。
しかしもち米を取りに戻るのが面倒だったので別のスーパーへ寄る事にする。

別のスーパーへ行く途中で公園をみつけて寄り道。ケロは高いところへ登る遊具が好きだ。私の血か。ケロを支えてると自分も落ちそうでどきどきする。

帰宅後きなこの牡丹餅を作った。ケロにもミニミニ牡丹餅を作ってあげたら嬉しそうにお箸で(差して)食べていた。

丸田祥三/切通理作「日本風景論(2005-032)
春秋社(2000年11月)

写真家と文筆業の二人は1964年生まれで高校時代のクラスメイト。二人で日本(主に東京周辺の二人が育ってきたあたり)の風景の変貌と時代性について延々語った本。中にはサブカルチャーも含めて懐かしいものがたくさん出てきた。新幹線が戦時中の弾丸列車計画を継承しているとか、多摩の奥の山村がもうなくなっちゃったとか、知らなかったことも多少含まれている。
特に戦争に関する立ち位置には共感するものがあった。加害者としての記憶が残らないことや、色々。

ここ数年の間に焼夷弾についての人の話を2つ聞いていて、ひとつは「不発弾を解体すると中にすごく上等な布が入っていて服を作った」というの、もうひとつは「不発弾を解体すると中に金属の部品が入っていて鍋にちょうどよかった」というもの。(それぞれ別の人。)
その話自体は興味深かったのだけど、それに加えて戦争に関してはもっと色々あるだろうに、そういうことは結局語られず、人に話して面白い話だけをすることについても考えた。(いやこれはこれで語り継がれるべき話かもしれないけどね。)

たぶん言っても仕方ないことっていうのがあって、同じ体験をすれば言わずと分かるし、同じ体験をしていなければ言っても伝わらないからまた言わない。戦争だけじゃなくて色々な災害体験、ごく個人的な日常体験も含めて、言わないことってたくさんあるよなぁ…というようなことをここ数年ぼんやり考えていたので、その辺の琴線に触れるエピソードがこの本にもいくつか出てきた。

最後に「あとがきにかえて」と丸田氏が書いている話だけは、実際に起こった出来事を、消化せずにはめこんであって、丸投げしているところがちょっと。まぁ丸田氏は写真家であって文章を書く方が専門じゃないんだけどね。


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