| 2004年11月14日(日) |
低緯度オーロラの撮影に成功 山梨・南アルプス市 |
紀宮さま、「おめでとう」に笑顔で会釈 夜空を焦がす勇壮な火柱 福島・須賀川で「松明あかし」(asahi.com)
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また日記読み日記。 Rさんの日記に東京大空襲の時の「なあに、東京者(モン)はばちが当たったんだ」という話が出てきた。( http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=12479&pg=20041109 ) 丁度読んでいた本に関東大震災の時の天譴論について言及されていて、いつの時代も変わらないと知った。もっと古くはソドムとゴモラの時代からか。 しかしこういうのは宗教とも違うものなのか。平家とか。世の中そんなに因果応報なら苦労することも泣くこともないのにね。
図書館と百円ショップとスーパーを回って帰宅する途中で荷物+ケロの重みが辛くなり「ケロ、おんりしましょ」とケロに靴を履かせて指を握らせて歩かせた。しかし犬の散歩と一緒で、ケロの行きたい方へ行き触りたいものに触らせているとしつけにならないので「そこは行きません」「それは触らない」と禁止事項が多くてちょっと可哀想な気も。ヘリコプターと蚊をじーっと目で追っていた。ケロが遠くのものに手を伸ばすのを見ると「異邦人」の歌を思い出す。
また百円ショップではケロのものばかり買った。
◇絵本を縮小コピーして入れる葉書フォルダ 今日買ったのはポケットが多くて、絵本4冊分が仕舞えた。これは絵本をケロから守るためと外出で持ち歩くためにとっても便利なの。でもスキャナで読んでカラープリントすると、多分もう1冊絵本買うのと同じ位コストかかってると思う。
◇パッチン留めとヘアゴム ケロの前に3種類位づつ出して選ばせた。パッチン留めはピンクのくま、ヘアゴムは赤いゴムに白くま。くま好き?(他の候補は星型など)子供の頃にお気に入りのパッチン留めを落として悲しい思いをしたので、こういうものは自作か予備を買っておいてあげたい親馬鹿。
◇砂鉄のお絵かきボード まだ早いかと思いつつ、どうせすぐ壊れちゃうんだろうなと試しに買った。大喜びでぐるぐる描いてた。が、しっかり左手でペンを握りしめていた。やはり左利き?
読んだ本。
村井紀「南島イデオロギーの発生−柳田国男と植民地主義」(2004-146) 福武書店(1992年4月)
柳田国男が沖縄を原日本としてもちあげる一方に忘却した、韓国併合に係わった公務員としての立場。折口信夫が「死者の書」へ至る以前の戦争賛美を周囲が無視する奇妙さ。「ほろびゆくアイヌ」という表現で伝統文化の一部のみを祭り上げ、反対の手で「同化」を促す人々。 あちこちで発表したものをまとめた本なので、表題のわりに柳田国男メインではないが、いずれも無意識の思い込みや意図的な偶像化を破壊しようとする割とラディカルな本。端から端まで批判的な文章なので、気分よく読める本ではなかったが、「常識を疑え」「定説を裏返せ」という姿勢には学ぶものがあった。 「遠野物語」や「死者の書」は子供の頃に読んで、特に思い入れもなかったが、当時ちょうどブームだったのだとこの本で知った。
星川淳「環太平洋インナーネット紀行―モンゴロイド系先住民の叡智」(2004-147) NTT出版(1997年9月)
アラスカ、コロラド高原、五大湖東岸、オーストラリア北西部、クイーン・シャーロット群島、ハワイ諸島、屋久島それぞれの自然・人々・今について語りながら、過去と未来をみる本。
この著者の小説「ベーリンジアの記憶」に全く心動かなかったのでどうかなと思ったのと、ニューエイジとかエコロジーを熱く語られると温度差を感じるので、やや引き気味に読み始めたが、噛むにつれ味が出てきた。 「ベーリンジアの記憶」は似非神話みたいな語り口とネカマみたいで(男性著者による女性一人称)駄目だったけど、この本はインタビューで言葉に力のある人々の話したことを移しているのでやはり本物の味がある。著者本人の言葉もストレートなので力がある。
核の半減期が2万5千年。既に廃棄された核廃棄物を安全に管理するには、今後2万5千年を人類が生きて、継続した文明を残さなければいけない、そのためにどうしたらいいか。という考え方は新鮮だった。そして口承で1万年の歴史を伝えられる人々が、その文明の遺跡を残さない=環境に負担をかけないとか、石器は熱も大掛かりな設備もなく作れるから見直されるべきだとか、いろいろ考え方をシフトされて面白かった。あと仏教について「輪廻から抜け出したいという考え方は不自然」とかね。
しかし「環境に負担をかけない生活」と言っても、目の前の命が死なないようにしたいという欲望には限りがなくて、なかなか難しい。「この土地で採れるものでこの人数は養えない」となった時に、目の前の子供や老人やあるいは自分(これが一番簡単かも)が生きられないという結論は厳しいよな。 そうならないために一生懸命耕作したり家畜を飼ったりして備えてしまいそうだし、足りなくなれば他の部族から獲ってこようと思うだろうし。 死んでもまた戻ってくると腹の底から信じられたら平気になるんだろうか?(あるいは死んだら極楽/天国で楽しく暮らすと?) 108どころか煩悩には限りがないようで。
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