いいことあった
おさがしものはこちらから

2003年08月07日(木) 整髪料やアイスなど3種の香り成分がスズメバチ刺激

携帯電話、全147地下駅で使用可能に 営団地下鉄
厚さ百分の数ミリ カーボンナノチューブの紙で折り鶴
初のクローン馬誕生、母子で「双子」 伊の研究所(asahi.com)
 #競走馬の場合は(規定で)認められないそう。

* * *

ハイペリオンシリーズ読了。整骨院(今日はお灸我慢したよ)。

ダン・シモンズ「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」「エンデイミオン」「エンディミオンの覚醒」(2003-083〜6)
早川書房(1994年、1995年、1999年、1999年)

会社を辞めたらこれを積み上げて一気読みするのを楽しみにしていた。合間に色々と他の楽しいことが入ってしまったので「一気」ではなかったけど、新刊当時に5年も待って完結した人たちのことを思えばずいぶんと満足。

ハイペリオン

振り返ってみても一番面白かった。「カンタベリー物語+デュマレスト・サーガ」と書いたとおり、旅の道連れ=巡礼者たちがそれぞれの身の上話を語る挿話を挟みながら全体のストーリーも進行していくのだが、この巡礼が曲者で「《苦痛の神》は巡礼の1人だけの願いを叶え、他の巡礼は殺される」という言い伝えのもの。空にはいまにも侵攻してきそうなアウスターという宇宙海賊、巡礼のうち1人はアウスターのスパイ、という状態で、辺境の惑星ハイペリオン上の巡礼と、連邦の首都TC2(タウ・ケティ・センター)での連邦対アウスターの開戦秒読み状態が進行していく。

この「主人公が沢山いる」という形式が、読者の感情移入をしやすくしていると思う。それぞれの挿話の文体も(いっそパロディ小説のように)変えてあり、お楽しみをたくさん作ってあるという感じ。
それに「これぞSFッ」というような《異星人の遺跡》《転移ゲート》《聖樹船》《飛行絨毯》《サイブリッド》などがちりばめられている。

が、しかし。前評判を一切聞かずにこの本の最後まで読むと「うっそー」。
この本だけでは完結しないのだった。

ハイペリオンの没落

「ハイペリオン」を読み終わって「うっそー」といいながら、「あぁちゃんと用意しておいてよかった」とこれに手を出した。こういう「単行本でありながら1冊で完結していない」本に初めてお会いしたのは「丘ミキ」なんすけど(笑)、O.S.カードのエンダーシリーズもそうだし、SFではメジャーな方式なのだろうか。本来はそれぞれ独立した物語として読めるべきだと思うけど、この本は「ハイペリオン」読んでないと全く分からないと思う。表紙に「この本は1994年に刊行された『ハイペリオン』の続編です」って書いておいた方がいいぞ、きっと。

で、これは巡礼の続きの話です(笑)前作は途中で切れちゃうのね、話が。
何故か巡礼の様子をリアルタイムで夢に見るサイブリッド#2がTC2に、巡礼たちは「時間の墓標」にいて、やはり2箇所に分かれてそれぞれに話をパスしながら舞台は進行。段々現れるもうひとつの/裏舞台、AI達の世界。
《雲門》の公案は分かりにくくって読みにくかったし、途中に入るジョン・キーツの詩はうっとうしいし(詩の扱いでいうとグレッグ・ベア「無限コンチェルト」の方がずっと上だと思うのだ)、前作の「めくるめく」感はちょっと薄れている。
で、色々あって一応完結。大風呂敷が結ばれた。

エンディミオン

ここからの後半2冊は主人公が変わり、時代も変わる。前半の登場人物はところどころに姿を見せるが、人のことより「それであれはどーなったのよ」をひとつづつ解決していくと共に、主人公ロール・エンディミオン(ロールはラウル・デュフィと同じRaoulの英語読みらしいが「役」のroleとかけているのかな。発音違うけど。)がたらたらと語る自分とアイネイアー、A・ベティックの冒険談。
対する敵役のパクス(復活派キリスト教会。バチカンのカソリックは皆これになっちゃったのよ。)のデ・ソヤ神父大佐はとっても魅力があるのに主人公はなんだかなー、感情移入しにくいのだよね。どうしてもそれをしなくてはいけない=何かの代償行為でもないし、アイネイアーの魅力もあんまり・・・なので、アイネイアーは使命があるからまあいいとしてロールが何故そんなに一生懸命になるのかが理解できない。人に使役することを刷り込まれているA・ベティックが一生懸命(たぶん)なのはOKなんだけど。(肌の青い人種はいないからアンドロイドは肌が青色って何か切ない感じがしたよ。)
で、この本も話が終わらないまま1冊が終わる。

エンディミオンの覚醒

色々あってこれで「それであれはどーなったのよ」は一応解決。(領事の件はちょっと気になるが。)バイオスフィアのイメージは美しかったな。あと惑星ツアーの描写も壮大で楽しんで書いた感が伝わってGOOD。

前半のハイペリオンでは『自分の息子を生贄にささげることを強要する神(「アブラハムの問題」)』についてワイントラウブがひとりで悩み続け彼なりに悟りを開くが、後半エンディミオンでは『信仰により実際に復活できるとしたら、あなたはどうするか』が裏テーマみたいなもんかしら。キリスト教圏の人としてはこういう問題を扱いたくなるんだろう。(しかしこれって禁書にはならなかったんだろうか。)それを書くために登場人物を振り回しすぎたのか、ちょっと観念的で物語としての魅力が少なかった。ラブストーリーもなんだかなー。

話の結末をつける「完結篇」としては必要かもしれないが、この本自体の小説としての魅力はあんまりない。あと突然高位知性みたいの出しちゃ駄目。人間は人間であるままで(どのような形態をとったとしても)自分自身で解決をするというのが本来ではないかな。神はいるかもしれないけど、この世界を作ってくれただけで充分じゃない。違う?


 過去  目次  未来  玄関  別館  読書メモ


つっこみ、コメントはこちらから/日記に引用させていただく場合があります