まめごはんつうしん
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2007年05月10日(木) 待っててくれるんだ

どうしても、ここに書きたかった。


「落ち着く」見込みなんか、ないかもしれないのに。
「落ち着いたら、になるけど、いずれは……秋頃をめどには、一緒に県レベルの会議に同行してほしいから、ね」
そう、言われた。
それはつまり、「こちらからは、あなたを諦めることはしないから」という宣言のように、私には、思えた。思い上がりかもしれないけれど。

3年かかっても、乗り越えられないものが未だにあるのに。
3月に「うつ病」の診断だって受けたのに。
傷口に塩を塗るような、そんな受け答えさえもしながら、それでも見限らないって、なんでだろう。
所用で、私の事情を知るヒトでもある知人(同年代ではなく、かなり上のかた)に、電話をした。その際に彼女は、私の連れ合いのことも含めていろいろ心配してくれて、いろいろ話を聞いてくれた。その際に、「それでもなんで私がここに居るんだろう」と、思いをぶちまけたら、彼女は彼女なりの見解を述べてくれた。重たい話を、たくさん聞いてくれて、ありがとう。
私なんて、ってまだ思いこんでるのは、私だけなのかもしれない。

数日前、久しぶりに連れ合いと、夜を徹し……はもう年のせいでできないけれど(苦笑)、長話をした。ふたりとも酒は飲めないので、連れ合いはコーヒー牛乳で。私……ハーブティーでも持って行けばよかったなぁ。ちっ。
その際、連れ合いに「アンタは、強いよ」って、言われた。
人生で「弱い」だの「弱虫」だの言われたことは数限りなくあるけれど、「強い」と言われたのは、私の記憶にある限り、初めてだ。
「こんな状況になってまで「見限られないんだったらがんばりたい」だの「やっぱり最後には乗り越えたい」だの、そういう発想は、俺にはないし、今アンタがやってることは、俺にはできない」
ちなみに、連れ合いも同じ病気になってしまった。1年前に、(おそらくは)お互いが大きく傷つく出来事があって、彷徨ったあげく、病院にかかるとやっと本人が宣言して(私が言っても動いてはくれまい、と思って何も私はこの間、言わなかったのだった)、結局その診断が降りたのは昨秋。その後は、すごく大変だった。
でも、どうにか家族間に起こった大波は、乗り越えたのかもしれない。最近になってようやく、連れ合いが闘ってきたこと、抱えていたもの、本当に思っていたこと、一部だったかもしれないけれど、聞かせてもらえた。閉じていたのは、言葉が足らなかったのは、私だったのかな、と今では思う。なによりも、ばらばらになりかけていた家族の危機を乗り越えさせてくれたのは、こんな状況になっても素直で子どもで元気だった、娘だと思う。彼女がいなかったら、私も連れ合いも、どうなっていたかなんてわからない。
そもそも、私が連れ合いと同じように(病院は違うところを選んだけど)「もうだめだ」と思って罹ることを決意したきっかけは、大好きだった手芸ができなくなってしまったことと、彼女のまだ7年しか生きていないとは思えない、あるひと言だった。まだ7歳の子どもにこんなことを言わせてしまう母親のままでは、ヒトとして役に立たない、そう思った。
(その後「その言葉に感激したとしても、そこまで思う必要はなくて考えすぎだと思う」と、何人かのヒトから言葉をいただいた。ありがたいと思った。本当に、ありがとう。)

「俺も元気にならなくちゃならないんだよな」
翌朝、そう言って、連れ合いは会社に行った。そんな「前向き発言」を聞いたのは、1年ぶりくらいのことになるのかもしれない。
その話をしたら、言われた。
「そうやって強くなって、なにより、ほのちゃんを元気に育ててあげてほしい、それを一番に願ってるから」




乗り越えていってほしい。
あなたは乗り越えなくちゃならないし、それができるんだよ。
どうして、どうして、こんなこと、3年も私に伝え続けてくれるんだろう。
今ならなんとなくわかる。想定外のことばかりがたくさん起こったけれど、選んでしまった以上、なんとかしなくてはならないという、責任のようなもの。私自身は「投げ出して、別の道を、別の人を選べば簡単かもしれないのに」と思っていたけれど、実はそんなふうに考えることこそ、私自身が「他人事かよ!」と言われて責めを負わなくてはならないのかもしれない。
「言っても無駄だったら言わない」かつて、そう言われたことも思い出したけれど。
なにより、私を大好きだと言ってはばからない、うちの娘を思ってのことなのだろうと思う。いっちょまえのようでいて(笑)まだひとりでは生きられない彼女を守るのは、最後には私(と連れ合い)なのだから。彼女のために、私が乗り越えなくてはいけない、って。

子育ては、親育てでもあるのだという。
彼女と、私と、そして小さい頃、いろいろなことがあって膝を抱えて傷を負ったままでいる、子どもの私。一緒に、育てて行かなくてはならないのだと思う。

いよいよ、固く閉ざしていたものを、開けなくちゃならないのかもしれない。
傷つけないよ、抱きしめてあげるよ、そう言いながら。
そのために、借りられる力を借りたい。
明日、教えてもらったお医者さんに、電話をしようと思う。
最初の決断自体はせっぱ詰まってたし間違いだとは思っていないけれど、目指す目的地は、そこでは決してないのだと思う。




まだ、待っててくれるんだ。
焦らないけれど、歩き出さなければ、それはもう、嘘だ。
窓の外は、春の終わりの雷。季節が動き出す。


まめもも |MAILHomePage