武ニュースDiary


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2018年12月18日(火) 金城武の子ども時代(「PUSH偶像」より)(完)

これで最後です。
ゆっくり、と言ったけれど、やり出したら、早く済んでしまいました。



「全部で8本のCMに出演し、ゴールデンアワーのドラマが1本、
CDも1枚出しました。
近いうち映画にも出ますし、香港での仕事も始めます」
金城武はわくわくしながら話す。
2年前、華視テレビの夜8時の人気ドラマ「草地状元」に出演、
その演技は目を引いたが、声は吹き替えだった。
中国語が下手だったからである。
プロデューサーの陳昇(ボビー・チェン)は武が育った背景をもとに、
台湾語の歌「お母さんの目」(後に「夏の話」に変更)を制作している。
母親との交流を歌ったもので、歌詞(注・呉念真 作)も曲も感動的で心に残る。

1年経つや経たずで、金城武は一躍有名になり、アイドルスターの座を手にした。
香港の映画会社が「東方三侠(ワンダーガールズ)」の続編に起用、
歌手としての活動もすこぶる好調である。
昨年末には本誌主催の「10大人気アイドル」投票の栄冠も獲得している。
デビューするや、いきなり若者たちが熱狂するアイドルとなったのである。
ややとつとつとした口調で武は言うのである。
「ぼくあまりうまくないのに、どうしてこんな大勢の人が投票してくれたんだろう?」

アメリカ式の教育を受けた彼は、台湾生え抜きの歌手たちとは反応の仕方が違っている。
番組でインタビューされると、よく風変わりなことを言い、
時には他の人にからかわれる。
みんながよく使う俗語もよくわからない。本当に知らないのである。
しかし、人はそれを大目に見てくれたし、
かえってそれが独特な効果を生み出してもいたのだった。

今、仕事は順調だが、もしもう一度やり直すとしたら、何をする?

「実は今まで将来何になりたいとか考えたことがないんです。
前はごく普通の学校の生徒で、毎日頭にあるのは、試験のこととか、成績のこととかでしたけど、
ただ、1つだけ考えていたのは、サラリーマンにはならないってことです。
9時5時の生活はぼくには合わないと思う。
だからそうなりたくない。
でも、芸能人になるとは思ってもみませんでした」

では、芸能界に入ってなかったら?

「牛肉麺の店か、でなければ水餃子の店を開こうかな、なんて考えたことはあります。
お母さんの作る水餃子と牛肉麺は最高なので。
色々な店で食べるけれど、やっぱりお母さんのが一番おいしい。
もし店を持ったら、毎日ただで水餃子と牛肉麺が食べられるじゃないですか!」
まことに無邪気な答えである。

競争が激しく新人が絶えず輩出する芸能界で、
武が一番自信を持っているのは何なのだろうか? また一番心配なことは?




自分への要求は高く、期待に背かない

武はきっぱりと言った。
「自信があるのは、自分の個性です。
ぼくは取りつくろわないし、ぼくはぼくだと思っています。
CDが作り上げたぼくではない。
一番自信があるのは、自然で嘘がなく、縛られない人間だということ。
一番心配なのは、自分自身への要求を高くして、
支持してくれる人たちを失望させたくないと願っているけれど、
意志の力も能力も、まだ足りないから、みんなの期待に応えられないんじゃないか、
失望させるんじゃないか、ということですね」

昨年、ピカピカの新人として、早くも10代アイドルの座を勝ち取った。
武は興奮を隠さない。
「ぼく、本当にびっくりしてしまって、でもとても嬉しかった。
生活も180度変わってしまいました。
してはいけないこともあるし、行けない所もある。
アイドルとしての制限はいろいろあるけれど、
でも、ぼくにとっては、それらはどれもまっとうなことだと思います」

金城武の恋愛については諸説紛々であるが、彼は一体どんな女の子が好みなのだろう。
異性についてどう考えているのだろう?
武は言う。「世界で一番わかりにくいのが女の子ですよ。
この世が終わりになることを除いたら、女の子が泣くのが一番いやです。
泣かれると、本当にどうしていいかわからなくなってしまうんだもの」
その武も、中学高校時代、2人の女のこと付き合ったことがあると認める。
高校のときは、環境の変化で付き合いを続けられなくなり、
終止符を打たざるを得なかった。

どんな女の子にピンと来る?

「美人じゃなくてもいい、印象に残る人、個性があるとか、
その人なりの特色があると感じられたら、好きになると思います」

仕事と恋愛、どちらが大事?
1つだけ選ばなければならないとしたら?


「その人と本気で好き合っていたら、仕事は諦めます。
ぼくは感情を大事に思うたちで、友達は、男でも女でも、すごく大切です。
だから、愛情と事業だったら、もちろん愛の方を選びますね」

恋愛は焦らず

女の子との交際に関しては、
家族は、アメリカンスクール時代に付き合っていた子が1人いたことしか知らない。
後にその子はアメリカの学校に行ってしまったので、交際は文通だけになった。
両親は20歳になったら、何事も自分で決めなさいと言っているが、
結婚については、
「経済的基盤ができてからするべきで、その方がどちらにとってもいい。
仕事と愛情の両方をきちんとしなくては」という考えだ。

万事おっとりしたイメージで、実生活でもぼうっとしている武は、
野心など全然ないように見える。
だが、実力を伸ばそうと真剣に努力しており、
一歩一歩努力を積み重ね、夢を実現していこうとしている。
なぜなら、見かけだけのアイドルでは、当人自身が自信を持てないからだ。
武は実力を備えたアイドルになりたい。
何事にも全力で当たり、自身に恥ずかしくないようになりたいというのが、
今一番の願いである。
みなさん、武に最大限の祝福を! 
彼はきっと力いっぱい取り組んでいくことだろう!
(完)


以上です。いくつかのエピソードは、他の所で読んだことがあるのではないでしょうか。
ただ、他の記事と矛盾する記述もたくさんあります。
コインを呑み込んだときの状況とか、付き合った女の子も、ここでは2人とありますが、
アメリカンスクール時代が初恋と書いてあるものもあり、
また初CMに出ることになったいきさつが少し違っていたり、
フーロンと契約するときに両親は反対しなかった、と書いてあるものもあります。

このDiaryでご紹介した記事としては、
「金城武自伝」→ こちら
「偶像物語」 → こちら
ほか、いくつか昔の話がありますので、比べてみると面白いかもしれません。

今回の記事が一番古いし、お母さんに話を聞いているので、信ぴょう性が高いかというと、
記者がまとめているので、必ずしもそうとは言えません。
本人がしゃべっている動画が一番生の資料と言えそうです。
ただし、とても小さい頃のことについては、お母さんの方が正しいかもしれない。
台湾の(中国もだけど)娯楽記事は結構いい加減で、
ファクトチェックなんかしてないんじゃないかと思うことが多々あるので、
後は読者の読み方ですね。

あと、この記事ではアイドル紹介記事だからでしょうか、
日本人学校での辛かったことなどには、ほとんど触れていません。

もう1つ、,播昇椶靴拭⇒弔ど陲抱っこされている写真で、
抱いているのはお母さんだといつも書かれますが、この記事にはキャプションはありません。
私は前からお母さんはもうちょっと若い感じではないかなあ、と何となく思っているのですが。
この記事ではお手伝いさんが一緒に住んでいたとありますが、
武は別のところでお祖母さんが一緒だったと言っています。
なので、そうだとしたら、これはお祖母さんじゃないのかしら?

武のお母さんは全然表に出てこない人で、少なくとも私は、
アニタ・ユンとの「香港犯罪ファイル」撮影中に現場を訪ねてきた両親の写真ぐらいしか知らないのです。
(ですから、今回の記事は直接お母さんに取材したらしいということでも、とても貴重でした)
その写真も斜め後方からで、鼻筋の通った端正な顔の方らしい、ぐらいしかわからず。
昔、日本人学校に、武兄弟と同じバスで通っていた人の思い出で、
武のお母さんのことを、子どもながらに「楊貴妃とは、こんな人だったんじゃなかろうか」
と思ったとありましたね。


   BBS   ネタバレDiary   15:30


2018年12月17日(月) 金城武の子ども時代(「PUSH偶像」より)

続きです。


活発で、人に好かれる

お父さんはよく休暇を利用しては、
一家を南部屏東にあるウナギの養殖場に遊びに連れていった。
武はウナギを見るのが好きだったし、池のほとりや田んぼの畔で小エビを捕まえたり、
魚を眺めたり……また楽しからずやである。
自然が好きな武は、小さい頃から丈夫で病気が少なかった。
今もめったに病気はせず、丈夫だそうである。
肉が好きで魚は嫌い、ただ寿司は大好きだ。
武の良い体格は、刺身と深い関係があるのではなかろうか……。

日本人学校に入学後は、学業面でのプレッシャーはなく、宿題もなかった。
せいぜい家で日記を書いてくることぐらいだ。
成績はごく普通だったという印象を、お母さんは持っている。
その代わり課外活動にはよく参加していたという。
学校の水泳代表チームに入り、他の日本人学校としょっちゅう対抗試合をしていた。
また、バスケットボールも上手だったが、活発でじっとしていない武は、
剣道のクラブにも入り、勇ましい剣道着一式を持っていた。
しかし、新しもの好きで、何事にも熱意が長続きしないため、
あれを習い、これを習いしては、3カ月、あるいは1年で熱が醒めてしまう。
これが彼の特徴の1つなのだ。

可愛い金城武は、学校の運動会ではいつもリーダーを務めた。
日本人学校の運動会にはオープニングの踊りがある。
武は1年生から9年生(中学3年)までずっと、
壇に上がり、法被を着て鉢巻を巻き、短パン姿でみんなを指揮した。

台湾語が話せたことで、武は日本人学校の先生たちのお気に入りになった。
台湾語ができ、かつ、台北の美味しい店や面白い場所をよく知っていたからである。
それで、武はたびたび先生方を食堂に案内してあげたし、
どこが面白いか、労苦をいとわず先生や同級生に教えてあげた。

もともと、気が小さく背も低かった武は、決して1人きりで家にいようとはしなかった。
恥ずかしがり屋で気が弱く、いじめられることがよくあったが、
自尊心の強い子だったので、泣いて帰って家の人に訴えるようなことはめったになかった。
思春期になり、背が急に伸びて、性格もだんだん強くなると、
誰も彼を面白半分にいじめるようなことはできなくなった。

学校ではこのように活発だったが、相変わらず両親の言うことをよく聞くおとなしい子で、
土日に同級生と遊びに行く以外は、ほとんどの時間を家で漫画を読んだり、
ゲームをしたり、“卵を孵し”たりして過ごした。
卵を孵す? 
つまり、武は一時期、小鳥を飼うのに熱中し、
興味津々で様々な小鳥を買ってきたのである。
果ては卵を買い、引き出しに入れて、電灯で温め、一生懸命孵そうとした。
注射器を使って小鳥に餌をやったりもした。

特にお気に入りだったのは太陽鳥で、暇さえあればこの鳥に言葉を教え、
一日中ひそひそ囀りながら楽しんでいた。
ところが、冬に気温が下がり、小鳥が寒がるのではないかと心配になった武は、
寝る前、眠気でぼうっとしながら綿を小鳥にかけてやった。
翌朝、なんと小鳥は死んでいた――かわいそうに、窒息したのである。
武は身も世もなく泣き、一日中打ちしおれ、ふさいでいた。


中学時代。後列右から2番目

自由だった学校生活

日本人学校の9年間を終えると、日本に行って進学するかどうか悩むことになる。
幸い住まいが天母だったので、アメリカンスクールに進学するという選択肢もあった。
しかし、自由で開放的な校風を、武の両親は心配した。
このよい子が、アメリカンスクールで悪いことを覚えてしまうのではないか。
そこで、初めに3つのことを約束させた。
1 大麻やタバコは吸わない、2 男女の関係にならない、
3 喧嘩はしない……夜12時前には必ず帰宅すること……

武は後にタバコを覚えたが、内心では気が咎めていた。
彼はこう説明している。
「学校の休みを利用して、友達とレストランでアルバイトをしたんですが、
支配人が本当にきつい人で、ぼくらにわざと面倒をしかけてくるんですよ。
それで気持ちが腐ってしまい、友達につられてタバコを覚えてしまいました」
それでも、この悪い習慣を止めたいとは思っていた。

一般に反抗期の子どもは、跳ねっ返りの行動に走るが、
金城武は腕白であっても、家の決まりにはきちんと従った。
お父さんが一と言えば一なのであり、口答えはせず、必ず従った。
台北に帰ってきている間、お父さんは夕食後の時間を利用して家族会議を開いた。
そして注意深く子どもたちに尋ねる。
「私がいない間、学校でどんなことがあり、どう解決したか、どう対処したか?
どんな困難があったかな?」
父と子は誠意をもって問題に当たり、率直に話し合った。
気の置けない親子の交流であり、たとえいつもそばにはいなくとも、心は常に通い合っていた。

父親の威厳を武は尊敬して、こう話す。
「お父さんは仕事がとても忙しいから、ぼくらと接する時間が少ない、
だから、ぼくらのことを知るのは難しい。
他の日本人のお父さんが大体そうであるように、
時間をかけて初めて理解することができます。
本当はお父さんはぼくらのことをとても考えていて、
ただその表現の仕方が、お母さんとは違うところがあるというだけです」

アメリカンスクールに入ってから、金城武も外見に気を遣うようになった。
特に土曜日の学校のパーティーには、必ずおめかしして出席した。
友達は多く、いろいろすることも多かったが、それでも必ず夜12時前には帰宅した。
アメリカンスクールでは、その優れた外見が、
またしても人の目に留まることになった。
美容院に行ったとき、CM制作会社の人が気に入って、CMに出演するよう説得したのだ。
そのとき、武は学校を休み、一家でアメリカに遊びに出発する前日だった。
名刺を見るなりお母さんは言った。
「CMに1本出るだけで3万元ですって? 騙されてるのよ、ひっかかっちゃだめよ」

アメリカのシアトルやカナダでは湖水地方を散策するかたわら、
お父さんは息子たちにゴルフを教えた。
武は興味を持てなかったが、次兄の方は大いに興味を示し、ゴルフ選手になろうと決心した。

武は兄と一緒に一足先に台湾に帰ると、内緒でCMに出演した。
そして生まれて初めての出演料1万元をもらい、お母さんに見せた。
とても嬉しかったそうだ!
父は武にゴルファーになってほしかったのだが、武はゴルフが好きでない。
そこで、「20歳になったら、何をするかは本人に決めさせましょう」
とお母さんが提案した。
お父さんは、
「この道に進もうというなら、本気の訓練が必要だ。
もし、ただ面白いからというだけの理由なら、3年ほどやってみて、
また自分でどうするか決めなさい」とよくよく言い聞かせた。

CMを撮ったのは面白そうだと思ったからだ。
ところが福隆(フーロン)事務所が目を留め、契約するよう、何度も声をかけてきた。
「あの人たちはぼくがバイクを買いたがっているのを知っていたんですよ」
結局、そのバイクゆえに武は説得されてしまう。
15歳で福隆と契約するとき、両親は強く反対した。
留学か、他の業種の仕事につくかしてほしいと願っていたからだ。
しかし、武は演技することに強い興味を感じていた。
CMだけでなく、ドラマやCDなど、どれも試してみたいと思っていたのである。
(続く)


あと1回です。
お母さんの話による文章はここら辺まで、以下は武へのインタビューが主になります。
この雑誌記事は、中国のファン、武のいた永遠さんが微博にアップして下さった画像によるものです。
ありがとうございます。谢谢。


   BBS   ネタバレDiary 13:45


2018年12月16日(日) 金城武の子ども時代(「PUSH偶像」より)

先日ちょっとお話しした、台湾のアイドル雑誌「PUSH偶像」に掲載された、
金城武の子ども時代の話です。
お母さんが取材に答えて語った子ども時代の逸話を元に構成されています。
1993年発行だと思います(月号はわかりません)。
長いので、3回に分けて(ゆっくりゆっくり)。



無邪気でおかしな子ども時代

子ども時代の話を公開したことのない金城武が、
今回本誌「PUSH」のリクエストにこたえ、
特別に当時の可愛らしい写真を提供してくれた。
武は幼い頃から純真そのもの。
武のお母さんが、末っ子タケシのしでかした様々なことを話してくれたが、
言葉のはしはしには母子の深い絆が感じられた。
今回、愛読者のみなさんのために、武の今日までの歩みを独占取材でお送りしよう!




き虫でいつもお母さにつきまとっている――
これが子ども時代の金城武だ。
兄が2人おり、8歳年上と2歳年上である。
末っ子の武は、生まれたときは丸々太った赤ちゃんだったが、
気が弱く、泣き虫だった。
今の男らしい堂々としたイメージは皆無だったのだ。

お父さんは商売で台湾にウナギの買い付けに来て、
美しいお母さんと知り合い、結婚したが、
お母さんが日本の生活に慣れなかったので、台北に新居を構えた。
しかし、お父さんは仕事の関係でしょっちゅう台北と日本を行き来しており、
ときには台北に2カ月、日本に2カ月、という具合なので、
子育ての責任はみなお母さんにかかってきた。
幸い、お手伝いさんがいたので、いたずらっこ子たちを育てるのに
1人でてんてこまいする羽目にはならずにすんだ。


おぼつかない中国語と日本語で、笑い話が絶えず

台湾語を話したり日本語を話したりと、言葉の面での当惑は当初からだった。
その上、小さな子どもの話すことだから、武は隣近所の人をよく面白がらせていた。
家は天母にあり、小さい頃から天母三玉にある寺に行って遊んでいた。
特に草はらで遊ぶのが大好きだった。
ある日、お母さんが階下の雑貨店で、近所の人たちとおしゃべりをしていると、
武が得意気に走ってきて言った。
「おかあさん、おかあさん、と"に"がみさま、たくさんつかまえちゃった!」
雑貨店主が「え、息子さん、土地神様をたくさん持ってきてしまったの!?」と驚いたが、
武が握っていた“戦利品”を見て、はっと気づいた。
武が持っていたのはバッタだった。
台湾語のバッタ(草眠公)が言えずに、土地神様(土地公)になってしまったのである。
「ハーフの子のおしゃべりは本当に面白いよ」と、
人々はしょっちゅう武の言うことにおかしがり、武をからかった。




いたずら者で、驚かされることばかり

やんちゃはやんちゃであったが、お母さんは敬虔な仏教徒で、
よくお寺に参拝に行っていたので、武も必ずついていった。
時には参詣団に交じり、
観光バスで中南部まで1泊2日で出かけることもあったが、
これにも武は決まってついていった。
このように幼い頃からお母さんについてあちこちお参りに行っていたので、
武も自然、仏様の加護やお告げを信じるようになっていた。

またもやお母さんと一緒に観光バスで南部に参詣に行ったある日のこと。
車内でお母さんが目を離したすきに、このいたずら者は、
なんと哪吒三太子(なたさんたいし)の像の手から輪を抜いてきて、
自分の指にはめていた。
すると不思議なことが起こった。
それまでバスでは、大人たちが武に歌を歌わせ、
武は必ず大きな声でテレビのCMソングを歌っては、あちこち動き回った。
ところが三太子の輪を指にはめてからは、まるで仏様が乗り移ったかのように、
歌も歌わず、じっと席に座っていたばかりでなく、何か唱えているではないか。
その変わりように、みな大変驚いた。

武のしでかした事件はまことに多い。
幼稚園の年長組の頃、武はクリスマスイブに、
園からきれいなサンタクロースの絵の描いてあるコップを持ち帰り、
コインをコップに入れて、ソファで飛び跳ねていた。
そして大声でお母さんを呼ぶと、クリスマスの出し物をやってみせた。
夢中になって飛び跳ねる武に、大人たちは拍手喝采をした。
飛び跳ねるのが一段落すると、武はサンタクロースが水を飲む様子をまねして、
クリスマスのコップを持ち上げ、ごくんと飲んでみせた。

ところが! 3枚のコインまで呑み込んでしまったのである。
武は喉を詰まらせ、顔は青ざめ、ひどく苦しそうだ。
お母さんとお手伝いさんが手で喉からコインをかき出したが、
1つ残ってしまった。
どうしても取ることができず、武もびっくりして泣きだす。
お母さんが急いでお父さんに電話をすると、お父さんは聞くなり、
「すぐ帰る、だがちょうど帰りのラッシュ時間だ、どうしても遅くなる」、
だから、先に救急車を呼んで病院に連れていくようにと言った。
電話口ではお父さんの叱責の声が響いていた。
「大人2人かかって子ども1人見られないのか、何を見ていたんだ!」
事は急を要するので、お母さんはすぐに救急車を呼び、武を公立病院に運んだ。

病院で医者はまず武の胃をからっぽにさせ、
それから全身麻酔をして、胃の中のコインをつまみ出した。
「大人だって胃カメラは大変なのに、武は5歳だったんですよ」
お母さんはつらそうに言う。
「でも、あの子は本当に勇敢でしたよ。
胃の中を全部吐き出させても騒いだりせず、おとなしくしてました。
私はガラス越しに見ていたんですが、楽しそうなんです! 
看護師が手首にネームプレートを巻くと、とても喜んでいました」
全身麻酔をし、1時間かかって、取り出すことができたのだ。
3日後にまた病院に行き、喉を洗浄してもらうと、武はすぐに元気になった。

腕白ではあるが、兄たちとはほとんど喧嘩をしたことがない。
それというのも、家は二階建ての洋風建築で、スペースにゆとりがあり、
それぞれが自分の場所を持つことができたため、
1つの物を争って喧嘩するということが少なかったのだ。
電子ゲームをしたり、マンガを読んだり……
それが兄弟たちの子ども時代の遊びだった。

ただし、武は”解体大王“だった。
買ってきたラジオや電動おもちゃ、あるいはミニカーなどは、すべて武によって分解された。
ところが、元通りに戻せないので、
みんなバラバラで、完全な形のものはほとんどなかった。
お母さんはまた、武がハサミで
クマのぬいぐるみのお腹を切り開いてしまったのを覚えている。
「何してるの?」と聞くと、武はこう答えたそうだ。
「テレビのお医者さんみたいに手術したの」
まったくいたずら者だ!

お父さんは台湾にいるときは、よく子どもたちを連れて外に出かけた。
武はいつも小さい足を伸ばして車の窓ガラスにかけたり、
取っ手にのせたりして、悠々とくつろぐ。
実に幸せなひとときである。

登園に付き添うほかにも、お母さんはよく武を連れて市場に買い物に行った。
あるとき、武は市場でお母さんとはぐれてしまい、警察に保護された。
警官が「お父さんは何をしている人?」と尋ねると、
武は「ヒューヒューヒューッとする人」と答えた。
一日中飛行機で行ったり来たりしている人だということなのだ。
首にかけていた鎖に彫ってあった名前と住所から身元がわかったとき、
ちょうどお母さんが駆けつけ、母子は再会することができた。




コラム 
幼稚園時代の金城武はとても可愛らしく、人好きがし、
日本のCMに出てくる子のようだった。
当時から、CMに出ないかと誘われることがあった。
乖乖(グワイグワイ)食品もその一つである。
ただ、お母さんはいつもきっぱり言うのだった。
「だめです、うちの子が芸能界に入るだなんて。
ちゃんと勉強をして、仕事につけばそれでいいんです!」
両親の確固とした方針で、武が”子役スター“の道に進むことはなかったのである。
(続く)


   BBS   ネタバレDiary 18:30


2018年11月25日(日) 「ゴールデンボウル」再放送

ゲストルーム(BBS)でちりさんが教えてくださいました。
私も大好きなドラマなので、こちらでもお知らせさせていただきます。
11月26日(月)から1日2話ずつ放映だそうです。
詳しくはこちら参照

ここずっと、様々なニュースはゲストルームでみなさんが伝えて下さっていて、
本当にありがとうございます。

家主の私はさぼりっぱなしで、「武ニュース」の名前がふさわしくなくなっておりますが、
先日、中国の微博で、ファンの方が、ごく初期の台湾の芸能雑誌
「PUSH」の画像をアップしてくれました。
めったに登場しない武ママに聞いた幼少時代の話、という触れ込みで、
武自身への取材も合わせて、それまでの歩みをたどっているようですが、
ざっと眺めたところ、後の彼の幼年時代にかかわるエピソードや写真は、
みな、ここが元ネタだったように思われます。

長いのですが、もし内容を知りたい方がいらっしゃるようでしたら、
頑張ってみようかなと思います。
(時間はあるのに、どんどん怠惰になっています。
忙しい人ほど、いろいろなことをやる、というのは真実ですね)


   BBS   ネタバレDiary  12:00


2018年10月16日(火) 高暁松、金城武を語る(文)2

続きです。

明に関してもそうだ。
俳優は照明から外れない。それはぼくも何本か監督やったから知っている。
だが金城武はそれだけじゃない。
サングラスをかけて演技する場面があったんだが、
彼はこう演じた(微かに首の角度を変える動作をしてみせる)
なぜそんな風にするのか、ぼくは初めよくわからなかった。
そうしたら、優秀な香港のカメラマンが、彼に向かって
ずっと「OK」の親指を立ててる。なぜなんだ?

実は、彼は、現場の沢山のライトや機械が、
サングラスに写ってしまうのを知ってたんだ。
それほどまでにも経験豊かだったんだよ。
サングラスには、明り1つ、人っ子1人、機械1台、写っちゃいけない。
カメラが写しちゃうからね。 
これはすごいことだよ。
ちゃんと照明に当たれる、そういう俳優は多い。
だが、サングラスをして演技するときに
どうしたらサングラスに現場の沢山の物を写り込ませないか、知ってるだなんて! 
大ベテランさ。カメラマンは撮っては親指を立ててた。
マジすごかった。

常に長い台詞のときは、
彼の中国語は完璧ではないので、少し言いにくそうになる。
しかも若い脚本家だったので、途中でぼくは
「確かにこれは言いにくいよ」と口を出した。
熾烈なビジネスの話で、儲けのこととか、要するに商売の話。
彼の長大な台詞をそばで聞いて、
「ぼくも商売人だが、これは大企業家の台詞らしくない、
ボスが言う言葉じゃない」と言って、少し変えてあげた。

でも、金城武は、その種のことにあまり明るくなくても
――商業コメディだからね、でもすごく上手に演じたよ。
途中滑らかでないところがあっても、
よくよく聞かなければまず気がつかないだろう。

ケ場所が、ちょうど飛行機の飛行ルートの真下だったので、
途中で飛行機が飛んでくるんだ。
ぼくは1日しか撮影ができない、しかも5時半には他に行く所があると言ったら、
金城武はすごくよくしてくれた。スタッフと相談し、
「暁松さんの出番は 飛行機は気にせず、どんどん続けてやろう。
でないと同時録音できない。今日は暁松さんのための撮影だ」、
そう言ってくれた。

経験豊かだから、飛行機が来ない間に流暢な台詞回しで演技をし、
飛行機が来たら、次に話す言いにくい台詞を練習する。
機械は回しっ放しで、飛行機が行ったら、またぼくとの場面を撮る。
超快適だったね、名俳優だよ。

四方八方に注意が行き届き、シーン全体が完全に見えている。
これこそ演技者としての最も基本的な資質だよ。
演技の最中に映画の画面が見えているんだ。
後で あたふたモニターを見に行く必要なんかない。
若い俳優はカットごとに「監督、モニター見せて下さい」と飛んでくるがね。
歌手も同じさ。優れた歌手は録音を聞き直す必要がない。
歌っているときに、自分の声も自分の姿も、全部わかっているからだ。
超かっこいい金城武と撮影できて幸せだった

わって去りぎわに彼が言った。
「暁松さんは阿里娯楽のトップでしょう? 1つ報告していいですか?」
「報告って?」と聞くと、彼は「弁当がまずいです」と。
たまげたね。
急いで会社のスタッフを呼んで聞いた、
「彼はぼくらと同じ弁当を食べてるの?」
思ってもいなかったよ。
ぼくの見たスター達は、自分のコックを連れてきて御馳走を作らせてるし、
付き人も大勢、ひどく甘やかされてる。
なのに、演技の方は大したことない。

その日の弁当は確かに良くなかった。
ぼくは言ったね、
「阿里影業の代表として提案する、弁当をもう少し良くしよう」
ぼくだったら無論かまわないさ、みんなと同じ弁当を食べる。
ピーター大監督も食べる。 
だが、金城武がこんなにスポイルされてない人で、
スタッフと同じ弁当を食べてるだなんて、まったく予想外だった!
上海は大都市だ、ミシュランの三ッ星レストランだって幾つもある。
だのに、みんなと同じ弁当。感動したよ。

とても礼儀正しく、とても好感が持てる。
かつての“小鮮肉”が、今やベテランの名役者、
いや、昔も単なる小鮮肉じゃなかった。
デビューしてすぐ色々な役を演じていた。
最高の時代に間に合ったんだ。
日本の芸術映画、それから台湾映画 香港映画、
ウォン・カーウァイの映画にも間に合った。
幸せな俳優だと思う。    (完)


   BBS   ネタバレDiary     0:40


2018年10月15日(月) 高暁松、金城武を語る(文)1

2016年10月29日(土) にアップした、
「喜歓你」(恋するシェフの最強レシピ)撮影時のエピソード、
「高暁松、金城武を語る」(←クリックで記事に飛べます)ですが、
動画が著作権の関係で見られなくなっていました。
ご覧にならなかった方もいらっしゃると思いますし、
内容も残しておきたい話なので、
字幕の部分だけアップします。
文章だけなので、字幕という制限から短くしたり
言い換えた部分を手直しして、もう少し読みやすくしました。
2回に分けて。

前と後が欠けた一部分になりますが、動画はここで見られます。
晓松奇谈 :高晓松称搭档戏骨金城武很幸福

なお文中の「男人手冊」は最終決定前のタイトルです。



くは化粧をして映画に出たんだ。
ぼくの阿里影業が出資している「男人手冊」という映画。
阿里影業は映画製作を本格的に始めたんだが、
その1つで、楽しいコメディだよ。
自分の会社の映画だし、友達のピーター・チャンがプロデューサーだから、ノー・ギャラで。

だが嬉しいことに、超かっこいい男に会えたんだよ。
ぼくは彼の映画を見て育った。
彼にそう言ったら、彼の顔に殺気が浮かんだよ。
「どういう意味? ぼくはそんな年寄りですか?」
若くはない、でも本当はぼくより少し年下なだけ。
ただデビューが早かったから 早くから見てたわけさ。

「恋する惑星」とか「天使の涙」とか見たさ。
あの頃は様々な芸術映画が次々作られた、偉大な時代だったからね。 
その他に大作映画も見たよ。
「ウォーロード(投名状)」「ウィンター·ソング(如果・愛)」……
もうわかっただろう、ぼくより少しだけ顔の良い、金城武さ。

面白かったよ。ぼくの出番は全部彼と一緒だったからね。
彼は主演男優、ぼくは……ナンバー幾つなのか
どうせ1日しか撮影がない役さ。おバカ野郎役でね。
コメディだもの、おバカ野郎は必要さ。
ゴシップを追いかける恥知らずのキャスターで、彼を取材する。
彼は超々クールな金持ちのイケメン、つまり大会社のボス、
女たちに追いかけられる、そんな役だ。
ネタバレになるから、ここでやめよう。

との芝居は面白かった。
演技にはレベルがある。
初めはカメラの位置も、相手役の位置も、
自分がどこにいるかもわからず、懸命に演じるだけ。
終わってから、自分がぼやけて写ってたり
影に入ってたりしたことに気付く。これが第1の段階。
演技するだけで他のことには頭が回らない。
サッカーと同じだ。
初めは誰でも試合に出たら、蹴るだけで周りは見えていない。

次の段階が、手慣れた俳優だ。 
相手役がカメラに背を向くように仕向け、
自分は一番いい場所で、一番いい照明が当たるようにする。
相手役は損するよ。古ダヌキ役者とでも言おう。

最高レベルの俳優は、映画全体を考える。
自分が中心かどうか、ライトが一番よく当たっているかなんて、もう考えない。
映画全体がどうあるべきかが、完全に頭に入っている。
だからだよ、俳優出身で優秀な監督が多いのは。

金城武の前にも、そんな俳優がいた。
ぼくの2本目の映画「我心飛翔」に出た。でも公開されなかった。
ぼくの最初の2作は、1本目はお蔵入り、
2本目はSARSの流行とぶつかった。
それが「我心飛翔」で、陳道明(チェン・ダオミン)が主演だ。

陳道明と今回の金城武には、共通するものを感じる。
つまりベテランの名役者だということ。
自分がこの芝居の中心であり、大黒柱であることを理解しており、
芝居全体を考えて他の役者をリードし、立ち位置を決める。
だから相手は気持ちよくやれるんだ、春風に包まれるみたいにね。

城武は日本語、広東語、台湾語、それに中国語、英語が話せる。
沖縄の言葉もできる。
母語は台湾語と日本語、母親が台湾人で父親が日本人。
演技経験が長いから、中国語と英語も上手だ。
ぼくとは中国語で話をした。
撮影スタッフも監督も香港人なので、彼らとは広東語で話す。

よく尋ねてたよ、「カメラの焦点距離は?」って。
「32ミリ」と言われたら、彼はすぐわかる。
撮影のときには、もう自分の位置を完全に把握している。
ぼくが、「こんなにすごいとはね!」と言ったら、
彼は「そんな難しいことじゃないでしょう?」と、
「まじめにさえやっていれば、
何本か撮れば誰でもわかりますよ」と言うんだ。
焦点距離を聞いたら、彼にはすぐわかる、
前景はどうなるか、後方はどんな感じか、
どこならぼやけていいか、自分の位置はどこか。 (続く)


   BBS   ネタバレDiary 17:00


2018年10月14日(日) 金城武の「Love is Over」

少し前ですが、中国の微博でたくさんのフォロワーを持つポップミュージックの評論家・耳帝が、
なんと金城武を取り上げました。
彼がテレビ番組で歌った「Love is Over」。お聞きになったことのある方も多いと思います。
内容は以下の通り。


Love is Over」のカバーを色々見ていたら、なんと金城武のカバーバージョンがあった。
聞いてみると、なるほど声とその人のイメージというのは一致しているものだなあと思った。
声に誠実さと魅力がある。
いつかの金曲奨授賞式で、金城武と欧陽菲菲がプレゼンターをしたとき、
金城武が失恋したときにはこの歌をよく歌うんだと言ったのを思い出したが、
果たしてその通り、ただし失恋して歌を歌う金城武といって思い浮かぶのは
期限切れのパイナップルの缶詰ぐらいなのだが……
(耳帝 2018.8.29)

原文はこちら
動画を一緒にアップしていますが、見られない方はこちらを。
金曲奨授賞式の様子は,画像悪いですが、



思いがけないところに登場して、ちょっと嬉しい。



   BBS   ネタバレDiary  13:00


2018年10月11日(木) 金城武さん、45歳の御誕生日おめでとうございます

本当を言うと、うっかりして今日お祝い言うのを忘れるところでした!
20年間ファンとして金城さんを見てきて、
いろいろやきもきした時期もあったけれど、
今は彼の生き方にふさわしいファンになったのかな?

心のままに、やりたいように俳優人生を送ってください、と
素直に言えるようになりました。
いくら映画に出なくても、その存在は不滅なのがわかったので、
もう焦りません。

もうちょっと作品を見せてほしい想いは変わらないけれど、
待って待って、公開されれば映画を、そして映画の中の彼を見に出かけます。

これからの日々、あなたがやってみたい! と思える作品に数多く出合えますように。



懐かしいエリクソンCM 


   BBS   ネタバレDiary  21:00


2018年09月24日(月) ピーター・チャンとの対話(喜欢你)・3(完)

これでおしまい。


ピーター もう1つ言おう。
以前ぼくは香港の俳優と仕事をしていたわけだが、
彼らは普通、気楽に映画に出てくれた。
だから君は面倒に感じられた。
ところが、ここ数年、内地の俳優を多く撮るようになったら
実は君は面倒な内に入らないんだよ。
君よりめんどくさい人間は、もう1人2人じゃないからね。

 ぼくに言わないで(笑)
人にはそれぞれやり方がありますけど、
ぼくは、金城武という名前を使ってどうこうしたいと思わない。
この名をマネージすることには全く興味がないんです。
だからぼくはしょっちゅう露出することはしません。
そういうことは大事でないと思うから。
大事なのは、ぼくが演じることで表現した役の人物であり、
ぼく自身のことは知らなくていい。
ぼくがしたことを知ってほしい、ぼくは絶対あの「金城武」ではありません。 

ピーター みんなの想像してるのとは違うと。

 それは違うでしょう。
人が思うこの人と、別の人が思うその人も、また違うでしょ。
人は自分の何かを投影するんですよ。
ぼくもそれをひっくり返すことはしませんよ。
その人が大事に持っていられるようにはします。

ピーター 君はとてもいいものを持っていると思う、つまり真実だということだ。
つまり、多くの俳優はときにとても作った感じがする、
あるいは表面と中身は別という印象を受ける。
心で考えていることと、表に出すことが違うのさ。
だが、君は非常に一貫している。

 ぼくだってそうなること、あると思いますよ。

ピーター 君は自分を飾れないだろう?

 特に仕事を始めたばかりの頃、どうしようもなく、ああいう状態に巻き込まれたから。
昔はぼくもよくバラエティーに出ました。
今は多分、ほとんどぼくのこと、見ないでしょう?
なぜかというと、ああいうのが好きじゃないとわかったから。
あの場に入ってしまうと、否応なく自分じゃないものにならされる。
でも、番組に出ているときは、「ヘーイ、ワオ!」なんてね。ほんと難しい。

ピーター バラエティーは一番難しいよ。

 なんでそれに気がついたかというと、ぼくは事務所を換えたことがないんです、
デビューのときからずっとフーロン(福隆)。今もそう。
それで、この事務所に入って20年経ったときに、
会社がぼくにDVDを1枚プレゼントしてくれた。
その中に入ってたのは、ぼくが出演した番組全部の録画だった。

ピーター ほほう、そりゃすごい。

 それにCMと。

ピーター すごく見てみたいよ。君がテレビでどんなだったか。 

 ちらっと見てみて、呆然としてしまいました。
こいつ、誰?  (ピーター はっはっは)
本当にびっくりした。この人間の表情も、言ってることも、
インタビューの受け答えも、記憶にないんです。

ピーター だが、君も否定はできないだろう、
つまり、多くの視聴者は「金城武」に興味がある。
特に、既にできあがった、かくもミステリアスでノー・スキャンダルで、
誰にも写真を撮られない、絶対人に写真を撮らせない金城武という人物に。
どうすれば、誰にも知られず、誰にも後をつけられないようにできるんだい、
これはほとんど不可能だよ、文字通り家から出ないのでなければ。

 それでもやっぱり撮られることありますよ、多くないだけです。
もちろんあまり外出はしないけど、それでもある。
昔、デビューしたばかりの頃は、ぼく自身も思ってたかもしれない、
「金城武」という名を守って、酒場で酒を飲んだりパブで遊んだりは、極力しない方がいいんだって。
後になって、友達何人もから叱られて。
お前、なんで閉じこもってるんだ、外に出ろよ、外に食事にでも行けよ……

それから家族、それと親戚も。
親戚はね、ぼく、今は、新年の親戚の集まりには参加しないんです。
前は怒られました、年長者から叱られた。
今はもうみんなわかってくれて、お前は来なくていいよと。(笑)
ぼくと一緒に外に食事に行くと、みんな楽しくなくなる。
もちろん、それでも比較的なじみの店には行くことがあるけれど、でも少ないです。
家で食べていいなら家で食べる。もうそれに慣れてしまったし。

ピーター 君のような人間は、他の会社じゃ扱えないってことを、
君はもうみんなにわからせるのに成功したわけだ。

 (笑)オーケー、誰もぼくを引き抜こうとしない。(笑)

ピーター 君を引き抜く人間は誰もいないさ(笑)

 いや、本当にスターぶってるんじゃなくて、
ほんとに、ああいうのはぼくじゃないと気がついたんだと思う。
今日のこのインタビューのようなのは、もちろん別だと思うけど、
だけど、今しゃべっていることに、ぼくだって百パーセント確信があるわけじゃない。
わかっているのは、何か話したいことはある、ということだけ。

ピーター だが、ぼくはやはり気になるよ、
君は初めの頃も外出しなかったのかい、20歳そこらの人間が。
昔から全然出かけなかったんなら、逆にわかる。
だが、以前は出かけていたとしたら、どうしてやめることができるんだ?

 なぜだろう。急に聞かれたけど、ぼくもどうしてだか考えたことありません。
あ、ひとつには、さっき言った、周りの人も不愉快になるのがわかったこと、
一緒だと迷惑になるんです。
子どもの頃は外で遊んでいたし、実際子どもはみんな外で遊んでましたよ。
酒場やパブにも行ったけど、付き合いだから、ではなかった。
一緒に行った人たちはほとんど付き合いでだったかもしれないけど。
ぼくはただ、そこで酒を飲んでいただけです。

ピーター 人が付き合ってくれたら、君もお返しに付き合わなければいけないだろう。

 いや、いや。多分酒を飲み始めた頃だったから、
お酒ってすごく楽しいなと思って、飲んでいただけ。
つまり酒を楽しんでいるというのが多かった。

ピーター 君と食事の約束をするのは実に面倒だ。
2人とも食べることが好きだから、旨いものでなくちゃいけない。
旨い店で、他の人は呼ばないで、部屋も予約が必要だ。
本当のところ、とても難しいよ。

 ぼくは家でいいんです。
前に、あなたに外に出ないで何をしてるんだと聞かれて、ゲームをしていると答えた。

ピーター 今はしないの? 以前はそう言ったね。

 前ほど夢中にはなりません。

ピーター 前ほどではない?

 あの頃は多分本当に夢中になってた。
ネットゲームが始まったばかりのときで、そのときは一番熱中してましたね。

ピーター だから君はオタクの元祖なんだよ。

 ぼくはオタクのことはわからない、この言葉もあまり注意したことありません。
だから、今は家にこもって――
以前は割に閉じこもっている感じだったと思うけど、今はオーケーです。
まだ何か質問があるのかな?
全部カットしていいですよ (笑)。    
(完)


   BBS   ネタバレDiary  0:30


2018年09月23日(日) ピーター・チャンとの対話(喜欢你)・2

(続きです)


ピーター ところで、君はいつになったら監督をやるのかな

 わかりません、やるとは限らないし。

ピーター 君はできるよ。映画にこれだけ興味があるんだから (武 ため息)
監督は、プロでなくてかまわない唯一の職業なんだよ。
いつも言っているが、監督はmultiple choice、つまり選ぶこと。
大勢の優秀な人材がたくさんの材料を差し出して選ばせてくれる。
実は監督はそんなに難しくない。判断できればいい。

 ぼくは20歳になる前はとても監督になりたかったんですよ。

ピーター ほんとかい、そんなに早くから?

 そうそんな昔。20歳だったかな、大体そのぐらいです。

ピーター 当時、君は確かニューヨークで
何か月か学校に通ったんじゃなかったっけ?

 そんなに長くじゃないです、2、3週間だけ。

ピーター 演技の勉強、それとも監督?

 映画の勉強です。
そして監督の権威ってすごいんだなあと思って、じゃあ、監督になりたいと。(笑)
その後、もちろんチャンスもなかったんですけど、30歳ぐらいの頃、
チャン・イーモウ監督が大作を撮り始めるようになり、
あなたの「ウォーロード」もそうですよね、
他にも、ジョン・ウー監督、の「レッドクリフ(赤壁)」……。

ピーター 「レッドクリフ」。どんどん大作に出るようになった。  

 こういった映画を経験して、その監督たちを見ていて、
本当に、そのとき思ったんです、「監督は大変だ、なるのはやめだ」(笑)
どうしてこんなに大変なんだって。
そのときだけは、俳優は楽だと思ってしまいましたよ(笑)

この先は、どのくらい演技を続けられるかわからないし、
チャンスに恵まれて、誰かがオファーをくれれば、
出演することがあるだろうけれど、
なかったら、誰もオファーをくれなくなったら、また考えればいいと。

ピーター 断るのを少し減らせばいいんだよ、
誰もオファーしないなんてことがあるものか。

 違う仕事に手を出すなら、ずっとその仕事をするべきだと思うんです。
やめて、また戻ってきて、というのはしたくない。
俳優やって監督やって、また俳優、監督、こんなふうじゃなく。
だから、もしいったん監督になったら、俳優はもうするべきじゃない
あなたは演技をやろうと思ってますか?

ピーター ぼくは演技はできないよ

 どうして?

ピーター どう演技したらいいんだよ、
そもそもコチコチになってしまって動けない。
カメラが回ったとたん不自然になってしまう。
宣伝用動画のほんの短い台詞でも覚えられないんだから。

 ぼくだってすごく不自然になりますよ。無理してやってるんですよ。
やらなきゃいけないからやるという感じです。

ピーター いや、君はやはり天分があるよ。

 いえいえ、ぼく、今日はよくしゃべってるけど、
やっぱりやむをえずという感じがしてますよ。
ほら、カメラが4台も回っていたら、話をしないとまずいでしょう。

ピーター 変化したことについて話そう。
ぼくが思うに、君はこの数年ものすごく変化したよ。

 年をとりました。

ピーター そうじゃない、本当に前より開放的になったと思う。
こういう話をすること自体、数年前だったら非常に難しかった。
今日、発表会のステージでの君のああいう状態も、ぼくには予想外だったよ。

 でもあれは……後でステージを降りてから、
さっきしゃべりまくってたのは一体誰? 状態でしたもの。

ピーター 君はカメラが回ったら、必ずできるんだよ。

 ぼくにもわからないけど、
多分あそこは絶対話を続けなくちゃいけなかったからかな。
じゃないと多分怒られる。 (笑)

ピーター だから、ぼくは君は大きく変わったと思うんだよ、ここ数年。
特にこの数年だ。
いつも聞かれるんだがね、金城武とは本当に仲が良いのかって。
ぼくがイエスと答えて君が認めなかったら、恥をかくじゃないか。
しかし映画を撮らなくても、どのみち、ぼくが日本に行ったら必ずこの人に会う、
彼も香港に来たらぼくを訪ねてくれる。

ぼくのこの10数年の成長、「ウィンター・ソング」を撮り終えて以後、
子どもが生まれたこともふくめて、彼は全部知っていてくれる。
「捜査官X(武侠)」の後、母が亡くなった。母の病気のことも彼は知っていた。
亡くなったとき、彼は葬式に来てくれた、唯一のスター、唯一の俳優なんだ。
だからこうした多くのこと……

 その頃ぼくは撮影がなかったから。(笑)

ピーター 君はいつだって撮影してないじゃないか。(笑)
1年にせいぜい2、3カ月だろ。
だからぼくらの関係というのは、ちょっと特別なんだよ。

 「ウィンター・ソング」では、ずっとあなたとやり合ってましたよね。
「ぼくはやっぱりわかりません」とか言ってね。
監督はどうしてリン・ジエンドン(林見東)にこんなに彼女を愛させるのか、
どうしてもわからなかった、なんで彼女が好きなのか。

(「喜欢你」スチール)

ピーター この芝居自体わからないとまで言い出すんだ。
なんでルー・ジンはそんなにションナンが好きなのか、それも理解できない。
恋愛のどこがわからないって? 愛のことは誰にもわからないさ。
わけもわからず人を好きになったこと、ないのかい?
君は好きになった人のことを全部わかるのか?
彼女を好きな理由を君は全部わかるのか?

 おっしゃることはわかりますよ、
ただ、つまり、画面から感じ取れないんじゃないかと心配なんです。
そこに至るステップがつかめないんじゃないかと。
だから、ともかくたくさん意見を言って、面倒引き起こして、
それなのにあなたはまたぼくにオファーをくれる。
またくれるんです、「ウォーロード」のときも、
ぼくが断ってるのに。何度断っても、またくれる。

(続く)


   BBS   ネタバレDiary 1:00


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