本と編集と文章と
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2002年05月31日(金) 読者不在説

先日、大手出版社の編集者から、なんともすごい話を聞いた。 
某社の新人君が長者番付にも顔を出す超売れっ子のミステリ作家の担当になることになった。それで新人君は上司とともに挨拶に行ったが、先生はご多忙らしくお目通りはかなわなかった。
それでも、原稿はファックスで送られてくる。ところが、目を通すと、展開に、辻褄が合わないところがある。新人君は、先生に問い合わせの電話をかけた。すると、電話口で先生に激怒されたという。
何故激怒したかは不明だが、推測するに、まず、新人が先生を忙しいさなかに電話口に呼び出すこと。そして、細かな間違いを指摘したこと。
先生はたいへん多作でいらっしゃる。書いてしまったものの些細な間違いを振り返っている時間はないのだ、ということらしい。
結局、先生の逆鱗に触れた新人君は担当替え。上司とそのまた上司が先生のところに謝罪に行くのも同行させてもらえなかったという。

この出来事をどう見るか。
たしか、トンデモ本には、志茂田景樹の小説も途中で登場人物の名前が変わる場合があると書いてあった。口述筆記だからな、とは思う。
しかし、編集者は何をしているのだろう、という長年の疑問がこの話で解けたのである。こういう場合、編集者は何もしないのが最良の選択なのである。
状況を考えると、新人君には、4つの選択肢があった。
1 そもそも、適当に読んで間違いを発見しないこと
2 発見しても直さないこと
3 発見したら勝手に直すこと
新人君は、いちばんやってはいけない4番目を選択してしまったために災厄を招いた。

「しかし、読者はそんなことでいいのか?」という疑問は残る。
読者こそ、最も怒るであろう。
といったら、シニカルな友人が、読者なんかいないんだよ。みんな買うだけで読んでいないんだ!、という。
ミステリの辻褄が合わなかったり、登場人物の名前が途中で変わったら普通は問題になる。しかし、ベストセラー作家の本にして、そういう現象がない、というのは、彼のうがった説もあながち的はずれではないのではないか、と思わせるものがある。
本は味わって読みましょう。


村松 恒平 |MAILHomePage