幕夕(まくゆう)の海外旅行日記
 < 過去  INDEX  未来 >

2012年10月25日(木) 47歳 テヘラン→飛行機

 テヘランのバスの乗り方はよくわからなかったので、地下鉄の駅まで歩くことにした。
 テヘランはやはり都会で、路上で話しかけてくる人はあまりいないと思ったが、地下鉄の乗り方や博物館への道を教えてくれた人がいた。
 テヘランの博物館はあまり大きくなく、確かに見どころは少ない。
 メロン・ジュースがおいしかった。
 イランの人はみんな親切で、またいつか来たいと思った。



2012年10月24日(水) 47歳 エスファハーン→テヘラン

 チャハール・バーグ神学校の中は見学できなかった。
 チェヘル・ソトゥーン庭園博物館ではペルシアの歴史に関する絵画が見られた。
 ガイド・ブックに載っている細密美術博物館は現代美術館になっていた。
 伝統工芸品はさすがに高いので、帰国前にリアルが余っていたら、何か買うことにしよう。
 日本語がよく話せるイラン人と会話を楽しむために店に行ったら、結局じゅうたんのセールスしかしなかった。
 レストランでペルシア語で注文したら、コックさんが厨房から出て来たが、何を言っているのかわからなかった。残念。
 テヘランの空港でまた係員が見当たらず、緊急連絡先に電話するところだった。私が出て来たとき、どこにいたんだろうか。



2012年10月23日(火) 47歳 エスファハーン

 昨夜レストランで見かけた日本人の団体にバーンク教会で会った。みんな口をそろえて、イランに対して日本で抱いていたイメージと現実との違いを語っていた。
 バーンク教会は日本でほとんど知られていないのが不思議なくらい。もしイタリア辺りにあったら、絶対今より有名になっているはず。
 ザーヤンデ川がかれているのに驚いたが、別に異常なことではないらしい。川岸の散歩道が公園のようになっていて、時々休みながら歩けるようになっている。
 今日行った橋の中ではハージュー橋がいちばんよかった。
 エスファハーンでは会う人がみんな笑顔で挨拶してくれる。
 シャフルザード(レストラン)のウェイターは表情が硬かった。



2012年10月22日(月) 47歳 エスファハーン

 エマーム広場は広場と公園が合わさったようなとても広い場所だ。もっとたくさんの人が訪れてもおかしくない。モスクのドームの天井の大きさは、写真で見ただけではわからない、想像を超えるものだった。
 レストラン・バースターニーでは注文していないものもどんどん運んで来るので、断らないとその分も払うはめになる。物価が安いのでそんなに痛くないが、残してしまってもったいない。
 バザールは観光客向けと庶民向けの場所が分かれている。
 ジャーメ・モスクで50万リアル小切手を出したら、お釣りがないと断られ、喫茶店まで往復した。
 エマーム広場の土産物屋に『新日本語の基礎I』のコピーで日本語を勉強している人がいた。



2012年10月21日(日) 47歳 シーラーズ→エスファハーン

 朝、ファイブ・スター・クラブの担当者から電話があって、少し話した。
 パールス・ツーリストの人がなかなか来なかったので、昨日のシーラーズの空港に続いてまたかという気になったが、15分ぐらい遅れて現れた。
 ペルセポリスのツアーはスペイン人・ブラジル人・イラン人・中国人といっしょのグループだった。
 レリーフや彫刻がすばらしかった。
 ホテルに戻るまで昼食を食べられなかったので慌ただしかったが、行きたい所に行けたのでよかった。
 エスファハーンまでのドライブでは、運転手さんとペルシア語の会話を楽しめた。
 飛行機で来られなくてかえってよかったかも。



2012年10月20日(土) 47歳 飛行機→シーラーズ

 デジカメを東京駅で紛失してしまったようだ。なぜいったんポケットに入れて、機内持ち込み手荷物に入れずそのままにしたのか。全く信じられない。
 テヘランで国内線に乗り継ぐにはメフラーバード空港に移動しなければならないのだった。教えておいてくれればいいのにと思った。
 と思ったら、実はテヘランで係員が迎えに来ていたのだった。帰国したら、ファイブ・スター・クラブに問いたださなければならない。
 リアルが暴落したという報道があったが、やはり米ドルの交換レートが落ちていて、日本人から見て物価が安くなっている。
 レストランで会った日本人の人は7か月間の旅行中だった。
 あしたは今日よりペルシア語を話す。




幕の内弁当の夕食 [MAIL]

My追加