昼食に誰かを待つ日は

2019年09月04日(水)


さっきまで誠実で真っ直ぐで日々戦い続けている大人の友達に会っていた。
去年偶然電車のなかで会って以来だから、1年以上は会っていない。
連絡をします、と言って全然連絡をしていなかったのだ。わたしが。

久しぶりに会った彼女は青いスカーフを巻き、素敵な柄のスカートを履いて、タイで買ったというこれまた素敵なカバンを掲げていた。西荻でパキスタンのカレーを食べて、近況を報告する。
「なんだか楽しそうでいいわねえ」としきりに言われたけれども、楽しい話しかしていないからで、実際はその隙間に苦しいこともたくさんあったのだが話はしなかった。彼女いわく、今は「何もしていない」そうだ。大学が休みということもあるのだが、昔と比べて徐々に体力も衰えて、年を感じるという。
常にひとりで活動し、ひとりで行動している彼女は、昔から変わらず国家に対し怒りを抱いていて、近年はもう太刀打ちができないほど悪化しているこの状況にほとほと疲れ、嫌気がさし、非常に悲しんでいる風だった。昔から言うことが一貫し、それに対し考えることを怠らず、考えるだけではなく自ら行動している彼女の意欲や気力はどこからわいてくるのだろうと、側でいつも思っている。彼女いわく、怒りが原動力になっているということだったが、毎日毎日怒りを抱え、かつその問題から目を逸らさず向き合い続けるその姿勢。そばで見ていて、あまりにぽかんと生きている自分が恥ずかしくなる。何もかもがもう内から毒され、思考する力がだんだんと弱められているのは何となく感づいてはいる。けれど、それをどう食い止めるのか、自分は何を考えなければいけないのか、どう声をあげるのか、ということについてはほとんど諦めてしまっている。
彼女の前で、私はただただ自分が恥ずかしかった。まず、一貫した考えを持ち行動する彼女に対し、私は考えや言動が一貫していない。口ばかりで行動した試しがない。私の言うことはすべてが綺麗事で、あまりに地に足が付いていない、ほとんど空想めいたお話でしかない。そんな自分が恥ずかしくてたまらなくなった。
かといって、自分に何ができるだろうかと考えたところですぐには浮かばない。ただ、家畜のようにはなりたくない。思考しないまま、何もかもを「これでいいのだろう」と受け入れて、慣れて、外側から見れば異常なことなのに、それを異常だとも思えないような人間には、なりたくはない。
けれども現状、もうすでにあらゆることを受け入れ、慣れて、それに合わせて生活をしてしまっている。
どうしてこんなに低賃金で、こんなにも長く働かなくてはならないのか? 年金を受け取れる保証はどこにもないのに、この薄給からなぜ今こんなにも年金を払わなくてはならないのか? どうして学校の先生が言うことを全て聞かなくてはいけないのか? 物事の良し悪しの基準が本当にわかる人というのは、今表に出てこれてはいないのではないか? テレビはなぜあんなに無意味なものだけを、事実を隠すためだけの低レベルなものばかりを流すのか? なぜ私たちはこんなにも焦っているのか? なぜこんなに急いで生きなければいけないのか? どうして古い建物が壊されて、新しいものばかりを建てようとするのか? 誰かが良い思いをする一方で、苦しんでいる人たちがどれほどいて、金をむしり取っている輩はそして、どういう風に私たちを操作しているのか? どうして何も希望が見えないのか?


疑問はたくさんある。
じゃあどうするのか、と問いかけられた時。 じゃあどう改善していけばいいの?と、問いかけられた時。
なぜ今この国がダメなの?その理由は?と、問いかけられた時。はっきりと答えられる言葉を持ち得ていない。それくらいはきちんと自分で考えないといけないことなんだろう。


こんな大きな話の前に、一個人の話。
まず、自分自身について顧みなくてはならない。私は一貫性がなく、人間性も腐っています。
いつからこんなにも誠実でなくなったのか。自分の立場を弁えなくてはいけない。
私は、彼女に虚言癖があると思われていた。それは虚言ではなく事実だったのだが、自分でもまるで嘘を言っているような事実であったため、それをそのまま口に出すと、それはもしかすると虚言であるかもしれなかった。あなたは演劇に出てくるみたいなのよ。これは悪い意味で、と昔から言われていたが、その意味がようやく掴めた気がした。嘘をついているつもりはない。これは嘘ではない。けれども、その言葉自体がまるで陳腐なのだ。けれど、本当に嘘はついていなかった。なのに、自分でも言葉にするとそれらは陳腐に聞こえる。
私は一体何を話しているんだろうと思う。自分の言葉、行動、考えに対して疑問がわく。
日々何を考えていたのだろうか。私の信念はどこにあったのだろうか。まともな倫理観はどこに行ったのだろうか。あまりに地に足が付いていない。もうどこにも自分の言葉などない。こんな状態で、とても人に何かを言える立場ではない。だから、「こんな人とはもう仕事したくありません」と言われたのだ。

自暴自棄ではない。自暴自棄であらゆることをしているわけではない。
揺るぎない何かがない。

自分に嫌気がささないの?


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左岸 [MAIL]