昼食に誰かを待つ日は

2019年08月17日(土)

暑い。今朝神戸から帰ってきて、寝ていた。この1週間は楽しく健全に過ごしていた一方で、その前に犯してしまった事件の余韻に浸ってた。とっても楽しい事件。冗談みたいな、すこしだけ悪いこと。
細部まで思い出すことができない!なぜなら結局見ないようにしていたから。
でも謝らない。悪いと思っていながらこんなことをしていたら、私は腐ってしまう。自分の自由に対してはどこまでも寛容でいたい。会いたい人には会いたいし、楽しいときには楽しみたい。その隙間でどこまでも独りでいられる。

ところで自分の名前にまつわるささやかな発見があった。
『万葉集』の一番はじめの歌(雄略天皇が作った歌)に自分の名前を発見したのだ。


春を告げる

籠もよ み籠持ち
ふくしもよ みぶくし持ち
この岡に 菜摘ます児
家告らせ 名告らさね
そらみつ 大和の国は
おしなべて 我こそ居れ
しきなべて 我こそいませ
我こそは 告らめ
家をも名をも



「いい籠を持っているねえ。いいヘラを持っているねえ。この岡で若菜を摘んでいるお嬢さん、名前はなんていうの?家はどこなの?」

若菜を摘む「をとめ」たちに声をかけて名前を聞いて回る天皇。けれども、女性が自分の名前を明かすのは結婚を承諾する男性の前でのみだったので、女性たちは自分の名前を決して明かさない。

「この大和の国は私が君臨している国。私が治めているのですよ!ならば、私から名乗りましょう。家も名も」 

そこで天皇は自分が大和を治めているのだぞと宣言し、女性にプロポーズをするという内容。
求婚は春を迎える儀式と考えられていたため、天皇の求婚は一種の農耕儀礼だった。
この歌は、春にお米や作物がたくさん採れますようにという祈りが込められているのだそうだ。
「球根」という漢字の由来も実はここから来ていたりして。

私は春生まれでなく冬生まれで、どことなく自分の名前がいつも自分の名前ではないような気がしていたが、万葉集の最初の歌に自分の名前を見つけたことがなんだか無性に嬉しくて、改めてこの名を授けてくれた父親のことを想った。お盆にお墓参りができたことは良かった。そのために神戸に行ったのだが。
お墓を掃除しながら、私の父親は一体どこにいるんだろう!と思わずにはいられなかった。こんなにもしんみりした場所にはいないはずで、快楽を求めてもっと他の場所にいそうな気がしたから。

毎朝祖父母は朝早くに目覚め、仏壇の水や花を取り替え、御仏飯を供える。自分よりも先に逝ってしまった息子に、いつもいつも心の中で話しかけている。時々声に出して何かを話しかけていることもある。妹は神戸にいる間、何かがあるとすべて父に報告をしていた。

「今日は水族館に行ったよ」
「パパ、今日は皆とご飯を食べに行ったよ」

私はそこに父はいないと思っているのだけれども、それでもやっぱり無意識に、仏壇の前では父に話しかけてしまう。不思議と出てくる言葉が「ありがとう」ばかりなのは、いつでもどこかで守られているような気がしているからかもしれない。何より父がいなければ私はこの世に存在していないのだ。
父の父、父の母。いつも笑顔を絶やさない二人は、でも子供が先に逝ってしまったという最大の不幸をずっと背負い続けている。いつも朗らかなふたりは、それでも静かに、心の中で、ちゃんと悲しんでいる。私たちに見えないところで。祖父母の態度や習慣を見ていると、襟を正すような気になる。とにかく態度や行動に、死者を弔う気持ちがすべてあらわれているのだ。お墓はずっと、ずっと綺麗に保たれている。見えないところに一番時間をかけ、手を抜かない。そういう生き方を私もしたい。
父は破天荒であったが、祖父母は律儀で真面目で温厚。死んだ後にも親に迷惑をかけて、どこまでも愛されている父親なのであった。迷惑をかけられる人がいる、というのは愛されていることと同じに思える。
菜摘という名前の由来をちゃんと聞いておけばよかったな。


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左岸 [MAIL]