昼食に誰かを待つ日は

2019年08月01日(木)

大人数で集まる会が苦手だから避けたい。けれど仕事であるとどうしようもない。だから昨日は渋々大多数が集まるそれに出席したところ、色々と間違えてしまった。
間違えてしまったよ。
場を盛り上げるために馬鹿なことを言って笑わせてくれる、いわば仕切り役のようなひとが必ず存在しているけれど、わたしはまずそのひとが頑張っている姿を見ているだけで体がかたまってしまう。ましてや時々、ほんとうに誰にも気がつかない一瞬、すべての疲れが表情ににじみ出ているのを目撃してしまった際にはますます体が固まり笑えなくなってくる。けれども、この場では「皆で笑う」ということが大事であって、仕切り役に気をつかう前にまずその場に馴染むことをしなければいけない。この気遣いほど要らないものはないし、誰も望んでいないことは確かだ。でも馴染むことができなかった。無理に出した話題はまったく見当違いのもので、場は白け、まったく悪夢のような時間であった。自分が異物であることを身を持って実感する時間は苦痛でしかなく、恥ずかしさで顔が赤くなると同時にもう周りに興味が薄れ、なにを話しているのか、なにを言っているのか、なにを笑っているのか、全てが遠くなる。そうして諦めて、探ろうとすることをしなくなる。このとき以上にひとりの世界に入っていることはないくらい。昔から協調性が△の子供だったけれど、社会人になってもこのままだとちょっと救いようがない。でも、努力がから回って収拾がつかなくなる前に、透明人間のようになったほうがまだ良い。その場にとって、多分。
何を勘違いしているのか、私のことを社交的だと思い込んでいる社長。やたらと私を外に出させようとするけれど、悲しいかな。私は大人数が苦手だし嫌いだし、それも内輪で盛り上がっているようなひとたちは特に苦手分野なのである。そういうことで、失態を犯し、結構落ち込んだ。もう二度と行きたくないなあ。「本が好きな人たちの集い」など、普通に生活していたらば絶対に参加しない場所である。私は本が好きだけど、本が好きな人たちと語り合う気はさらさらない。けども心からそこにいるひとたちに馴染みたかった。もっと社交的に、体を固めずに、気軽にお話をしたかった。だからいつも残るのは一抹の寂しさだ。これを感じたくないからひとりでいることを選んでいる節もある。

きょうから、あるひとたちにむけての取材が始まった。この一ヶ月はほとんど取材。それもかなり特殊な人たちの話を聞いているため、現実が若干ゆがんで見えてくる。
こんな暑いなか、わざわざ外に出たくはないし、本当になにもしたくない。
けど、相手に関心を示すことの練習だ。探って探って、探りまくろう!
あなたに興味があるの、という姿勢を見せるのはけっこう難しいことだけど。

いろんな流れがあって、なんとなく自分の星を調べたところ「傷官」というのが出た。
この星の生まれが持つ性質を見ていたら、なんとなくああそうかと腑に落ちて楽になった部分がある。そういうものに影響されたくはないけれど、あらかじめ何か決まっていたらば納得がいく。
受け入れると楽になる、まあ仕方ないかあと。諦めながら前向きになりたいものだ。


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左岸 [MAIL]