昼食に誰かを待つ日は

2019年07月23日(火)

私には孤独癖がある。人との関係性を築いていくことをどこかでふっと、諦めてしまう。この私の諦観で誰かを悲しませていることも確かで、現に昨日そのことを指摘された。

線を引いて自分を守る。この癖は治らないのだろうか。
でもこんな線を取っ払って踏み込んできてほしい、というのも本心。

父に会いたい。あの人は孤独だった。でも、私が弱っていたら何としてでもどこにいてもすっ飛んできてくれる人だった。父の笑顔には、でも泣きたくなるような哀しさが漂っていた。それは、危うさと脆さがあったからだと思う。無意識にその哀しさの匂いを感じ取ってしまって、ときには本当に悲しくなった。
彼が住んでいた部屋の壁はボコボコだった。自分の不甲斐なさや世間の不条理に対して抗っていた痕。誰にも見えないところでひとりで戦っていた痕。そのすべてを隠し、笑っていたのだ。ひどく不器用。不器用で不器用で仕方がないひと。本当の優しさというのはひどく不器用で、目に見えないところに現れるものだと思っている。だから、その優しさに触れると、泣きたくなるくらいにありがとう、と思うんだよ。覚えているよ、と思う。

独りになると誰が必要なのかがよくわかる。
そして、必要とされていないこともよくわかる。

壁を殴る代わりに、いろんなことを少しずつ諦めることを覚えてしまったのかもしれない。
不意に流れてきたフィッシュマンズの「ずっと前」という曲が、今の、この瞬間の全てを歌ってくれていた。





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左岸 [MAIL]