昼食に誰かを待つ日は

2019年07月15日(月)

朝。買ったプラムを食べて労働。今日は人がたくさん店に来て、昼時には満席になった。自分にブレーキをかけるタイミングを見失う。ブレーキをかけそびれると、眠りたいのに眠れないような状態に近い精神になって動き続ける進み続ける手を止めない足を止めないそして余裕がなくなる話が聞けなくなる。すこし意地悪になってくる。良くない。一種の躁状態だ。動けてしまうというのは怖い。私は今日ずっと、いつまでも動いていた。これはまずいと気がついた時、一方的に帰りますと告げて店を出た。

私は全てにおいてあまい環境にいるから、こんなのは過酷でもなんでもなく本当にあまい。お前は一体何をしているんだ、と常に思う。昔だったら怒ってくれる人もたくさんいたが今は誰もいない。自分を自分で引っ叩く以外に自分を叫ばせる方法がない。だからと言って過去の地獄のような日々に陥りたくもなくこの生活は守らなくてはいけない。捨てられていたものを拾うような作業がきっと必要なのに私は捨ててばかりいる。気がつけば手の甲にちらほらと見覚えのないアザができているがこれは自傷行為でもなんでもなく、何故こんなところにできたんだろう。

今年の夏は水がある場所に行きたいと思っている。私は泳げない。だから海やプールが苦手だけれど今は水がある場所に行きたい。身体を水のなかに沈めてみたい。水は、温泉のような安心できる温かさではなく、きゅっと身が縮こまるような冷たい水が良い。冷たさと一緒になって、あとは何も考えない。安心できる場所は本当に限られています。一緒にいるひとが冷たさを持つひとでよかったと、心底思う。あまりに優しいと、あまりに穏やかだと、あまりに真っ直ぐだと、自分に吐き気が起こる。冷えに行く、という気持ちで誰かの側にいたいと思っている。同時に肌の温かさ、正直な目の色には鋭敏になっていたい。
心の底から安堵する、冷たいところから温かいところへ行くと。そこに留まっていたいと、本当は思っているから苦しくなるんだろう。


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左岸 [MAIL]