昼食に誰かを待つ日は

2019年06月16日(日)

朝、すこし早起きをして映画館へ向かう。『慶州 ヒョンとユニ』という韓国の映画。以前京都でたまたま『幸福なラザロ』を観に行った際、この映画のパンフレットが置いてあり、これはみないといけない映画だなあと直感したのだけれど、やっぱり観て正解だった。静かで、観終わったあとにいろんな想像を巡らせられる余地を与えてくれる映画。答えが簡単に提示される分かりやすい安っぽい映画では全然なく、映像も美しく、静かで、本当に良い映画だった。もう一度観に行きたい。

映画を観終わって、お腹が空いて(140分以上の映画だったし)、Iと一緒に渋谷を歩き、歩いて、結局喧騒から離れた場所に小さなお店を見つけて、入る。店内には老夫婦と、それから犬がいた。
オムライスが美味しい、と言ってくれたので注文し、出てくるまでの間に映画について話す。
時々犬のほうに目をやると、『フランダースの犬』に出てくるパトラッシュ(も犬!)の人形の上に頭を乗せて眠っていた。そのそばで店主が虫眼鏡を片手に新聞を読んでいる。肝心のオムライスはあんまり美味しくなかったけれど、この光景を目にした、ということで我々は満足した。

その後もう一度、店に向かうことになる。眼鏡をどこかへ忘れてしまい、お店にないかしらと引き戻ったのだ。けれど、扉を開けると私たちが座っていた場所に店主が横たわって眠っていて、声をかけても起きない。一匹のシーズーだけが不安げにこちらを見つめていて、5秒くらい犬と見つめあったあとで、静かに扉を閉めた。

初めて代田橋に降り立ち、Iがこれから住む家へと向かう。今日鍵をもらったばかりの、何も置いていない古びた家。部屋が全体的にぼんやりと青みがかって、即座にねむくなる。まだ電気のつかないこの部屋には、窓から入る光だけが頼り。でも、その光もほとんど沈みかけていた。まどろんでいると、バルサンを焚いて即座に逃げる準備をしなければならなくなって、文字通りバルサンを焚き、逃げるようにして部屋を後にした。
家から30秒ほど歩いた先に、ヴィンテージショップを見つける。そこには珍しい照明類がたくさん置いてあった。Iの部屋には照明が最低6つは必要なのである。どの照明も古めかしく味があって、長い時間をかけてさまざまな照明を眺めていた。結局この日は買うことができなかったけれど。それにしても、こんな辺鄙な場所によくお店を構えたものだ。
代田橋は、屋根の低い比較的小さいお店が建ち並び、親身で、人とひとの距離が近い場所に思えた。インド料理屋のおじちゃんと、自転車で荷物を運んでいる宅急便のお兄さんが仲良くハイタッチをしていたり、そのそばで子供達が笑いながら神社のなかへ駆けて行ったり。その光景がおかしくて、げらげら笑った。
Iはきっとこの街でいろんな知り合いをつくるんだろう、と思う。飲み屋で出会ったおっちゃんとか、そういうの。わたしはそういうことができない、というか求めていないから、すぐに誰とでも打ち解けてしまえるIの性質をおもしろく眺めている。ご近所さんに挨拶をしなきゃ、お隣さんと仲良くできるかな、と何の屈託もなく言えてしまえるのは、今どき珍しい。そういう姿勢を、すこし分けてもらいたい。

阿佐ヶ谷について帰り道を歩いていると、青いワンピース姿で自転車に乗ったひとりの華奢な女性が「月が綺麗!」と言って、側を駆け抜けていった。わたしにはその声がはっきり聞こえたけれど、誰に向けた言葉でもないはずで、けれど、彼女の心の声がもれた瞬間に立ち会えたことが、なんかうれしかった。

ほんとうに今日の月、綺麗だった。


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左岸 [MAIL]