昼食に誰かを待つ日は

2019年06月13日(木)

暗いニュースばかり見ていたら、めっきり気分が沈んで、無意識に口数が減っているような気がする。
小さな子どもが死んでしまったり、女性が孤独死していたり、パワハラで男性が自殺してしまったり、嫌でもそのようなニュースが目に飛び込んできて、滅入る。みんなこういうニュースを見ているとは思うけど、一体どう思っているんだろう。特に最近女性の孤独死(セルフネグレストが原因)を見ていると、もしかすると自分もこうなってしまうんじゃないだろうかと、どきどきする。だから怖くて、さいきんは家に帰ってすぐ野菜を切ったり米を研いだり、そういうことをして、とにかく手を動かすことで自分を保っている。でも、おかしなくらい最近なにかとても不安で、不安を抱えると面倒臭くなって次の日は忘れているような性質なのに、1日経つごとにそれが減るどころか増えてしまっているのだ。

誰かが突然いなくなってしまうんじゃないだろうかと考えたり、ある日とつぜん自分の体のどこかがおかしくなって、動けなくなったりしてしまうんじゃないかと考えたり、パッと何もかもができなくなってしまう日が来てしまうんじゃないだろうかと思ったり、大事な人が見えなくなってしまうんじゃないかと思ったり、それ以外のこともたくさん考えながら、でも全て現実に起こり得ることだから、その時はその時でどう受けいれようかと今から考えたり、とにかく無駄なことばかりを考えてしまう。ともかく事を真面目にとらえず適当に考えないと、もうこの先生きていくのがますますつらくなる。だから、もっともっと適当に、もっともっと自分を甘やかし、自分を褒めていかないと、本当にパッと潰れてしまう。もう耳も目も毒されていて、心だってずいぶん固くなっている。すこし前の自分だったらば毎日毎日泣いていたところを、いまはもう仕方がないと済ませて涙を流さなくなったけれど、こんな強さは別に必要ではない。異常を異常と思わずについに平然と歩いてしまっている自分はとうとう病気だ。いま精神に病をきたしているひとは、本当の意味で健康だと思っています。

養老孟司が、都会は人間の意識で作られた街だ、無意識がひとつもない。だから山に行けと言う。
歩きにくい所を裸足で歩くような作業がいま必要な気がしている。

久しくわかない感情だが、全てが寂しい。本当に寂しい。


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左岸 [MAIL]