昼食に誰かを待つ日は

2019年06月09日(日)

神戸からおじいちゃん、おばあちゃんが来ていた。新宿の紀伊国屋書店の前で待ち合わせ。
お笑い芸人を目指して上京してきた、20になったばかりの従兄弟の信彦(しんげん)も呼んでいたのだけれど、いつになってもこない。電話をすると、新宿で迷子になったという。結構長いこと待っていたら、やってきた。久しぶりに見たらたくましくなっていた。小さい頃は妹と私、信彦で囲碁とかオセロとか、おはじきをしてよく遊んでいたのだった。とっても優しくて、素直な子。それは、今あっても全然変わっていなかった。

4人で地下のステーキ屋に入り、食べる。その後、喫茶店でケーキとコーヒーを飲んだ。この喫茶店は、偶然にも父が亡くなる前にふたりで入った場所。突然新宿に出向いて、紀伊国屋で本を買って(確か彼は岡本太郎の本を買ってた)、一緒にコーヒーを飲んで煙草を吸ったりしながらふたりでずっと本を読んでいて「お前、これ面白いぞ」と、後でその本を貸してくれた。無性に父に会いたくなった。でももう会えない。
おばあちゃんはずいぶん早口で、おじいちゃんはせかせかと歩く人で、信彦は心優しい素直な子で、わたしはだらしがない長女で、それでも久しぶりに会えて、楽しかった。おばあちゃんは足腰を弱らせていたし、おじいちゃんは前より耳が遠くなっていた。こうして会えるのも、もう何度ともないんだろう。
明日はひいおばあちゃんに会うのだという。104歳になる。私は小さい頃、ひいおばあちゃんに習字を習っていた。ずいぶん怒られたけれど優しくて、ひいおばあちゃんが生きているということは未だに実感が持てない。もう全然会っていない。けれど、私のことは覚えてくれているのだという。なっちゃん、なっちゃんと言ってくれているそうだ。ひいおばあちゃんより先に死んだパパ。104歳と44歳。あなたは先に逝くべき人じゃ、なかったでしょう。こんなこと今言っても仕方がないことだけれども。

またね、と解散して早稲田松竹へ向かう。『ミツバチのささやき』、『エル・スール』を観る。
やっぱり、ヴィクトルエリセの映画は、とても好き。絵本を読んでいるような映画で、ドキドキして、綺麗で、未知の世界をみせてくれる。隣の井上さんはやっぱり眠っていた。眠るための映画であることも間違いではないけれど。

どこに向かっているのか、全然よくわからない会話。
会話のなかで、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、模索して、迷子になりながら、衝突して、ちょっと疲れながら、少し笑ってくれたことに安心しながら、ひとりで抱えていたものの重さを想像しながら、話は飛んで、沈黙して、繰り返して、そういうことをしながら、彼と出会えたことや、一緒に居られることを、本当にラッキーなことなのだ、と思った。ぱったりと人は消えてしまうから、そして消えてしまったら忘れてしまうから、今目の前にいる彼の言葉を聞き、私の言葉を話し、そういう時間を設けられて、よかった。相手のことを、もっともっと想像しなくては。想像しながら、優しくなりたい。

人に自分のことを忘れてほしい、とよく思う。わたしも忘れてしまうから。
けれど、覚えていてほしい、と強く思う人もいる。忘れたくない、と思う。
今日のことは忘れたくない。
人の前で泣かない、泣いたことのない人が、きっと多分、堪えながら話してくれたから。
心根が優しい人だ、とわたしは思う。ふたりで、というのがどういうことなのかわからないけれど、
ふたりがひとり以上に心強いことは確かで、そういうことをもっとこれから実感していけたら、嬉しい。


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左岸 [MAIL]