てくてくミーハー道場

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2018年10月13日(土) 『ライオンのあとで』(EXシアター六本木)

サラ(ベルナール)が(黒柳)徹子か、徹子がサラか。





これ以上の賛美の言葉が思い浮かびません。

黒柳徹子ほど自分自身まんまで舞台に出てくる(ように見える)すごい度胸(ほめてるんです!)の女優は、寡聞にしてぼくには全く思いつかない。

森光子だろうが、大竹しのぶだろうが、ぼくには「その役を演じてる」のが見えていた(つもり)

だが、このサラ・ベルナールは、どこからどう見ても「まんま黒柳徹子」にしか見えない。

なのに、ちゃーんと、サラ・ベルナール。

恐ろしい。(ほ、ほめてるんです!大絶賛してるんです!)

サラが黒柳徹子的な人物だったってことなのだろうかとも思ったが、思い出してみれば、ぼくが過去に観た「黒柳徹子主演・海外コメディシリーズ」の主人公は、どれも全員“黒柳徹子”まんまだった(身もふたもないな・・・)

マリア・カラスも黒柳徹子だった。

マレーネ・ディートリッヒも黒柳徹子だった。

とにかく全部黒柳徹子だった。

そして、すべてめっちゃ面白かった。

多分、黒柳徹子主演シリーズの観客は、「黒柳徹子を観に」行ってるのである。それ以外は要らないって勢いで。

それが正解なのだ。

だから、今作がシリーズファイナルということは、本当に、心から寂しい。残念である。

だが、全編座ったまま(移動は車椅子か、杖を使ってちょっとだけ歩く)の黒柳女史を目の当たりにして、これ以上無理を言うのは過酷すぎるかなとも思った。

むろん、座りっぱなしでも「なんで?!」ってくらいエネルギーに満ちてパワフルな女史なのであるが。

こっちはすっかり芝居に引き込まれているので、全編主人公が座りっぱなしでも、

「黒柳さんも、トシだものねえ」

なんて気持ちは1ミリも思い浮かばず、芝居の中で主人公のサラ・ベルナールが脚を切断したから座りっぱなしなんだ、とちゃんと納得できるのだ。

肢体を切断して座りっぱなしで舞台を務めた人といえば、日本人は三代目澤村田之助を思い浮かべるが、サラには彼のような悲劇的なヒロイズムは無縁に見える。

『ライオンのあとで』という不思議なタイトルの意味がお話の後半も後半に判明するのだが、そこに至ってなおサラには悲愴感はない。

それは、サラ・ベルナールという稀代の女優の強さだったのか、黒柳徹子の個性のせいなのか、ぼくには判別できなかったし、する必要もなく思えた。





徹頭徹尾、黒柳徹子に始まり黒柳徹子で終わった舞台であったが、彼女を囲み支えるほかのキャストもみな良かった。

特に、すっかり安心の実力派ジャニーズの一人と言っても過言ではない桐山照史君が、今回も素晴らしい出来でした。


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