てくてくミーハー道場

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2012年09月22日(土) 「『ウエスト・サイド物語』シネマティック・フルオーケストラ・コンサート」(東京国際フォーラム ホールA)

(行ったのは21日なのですが、同じ日に2本以上の日記をアップできないため、翌日の日付でアップいたします)





最近こういうのが流行ってるのか?(この日のエントリをご参照)

しかも今回の公演は、「一本の映画をそのまま流して、その“音楽”の部分だけを目の前のオーケストラが“生”演奏」という、ムダに(こら)贅沢なコンサートです。

なんか、その贅沢さがあさって向いてるような気がしてならない(←そんなお前にこの贅沢は豚に真珠だな)

なんだろ・・・例えが見つからない(いや別に無理に例えなくても)

カラオケでその歌手本人に歌ってもらうみたいな?

たまにあるか、業界の人なら。

・・・特にうらやましくはないな(←強がり?)

いや、カラオケ(店)で聴いたってそんなにうらやましくはないよ。



んーでも、今日のコンサートは総体的にはステキだったな。

自分一人だけのためにワーグナーのオペラを上演させたルートヴィヒ二世の気分だ(←それもちょっと違うだろ)

いや、マルちゃん生麺を大勝軒の大将に作ってもらうような?(良い例えを模索中)

とにかく、いかにスペックの高いオーディオ装置であろうと、映画館で再生したのでは、この迫力は出ない。

映画なのに。

しかし、歌(ともちろんセリフ)はnot生という選択肢がまた面白い。

まぁ確かに、歌まで生にするとなると、その歌手(か、ミュージカル俳優か)が生で演じたらええやん、てことになっちゃうしな。

そしたら、普通に舞台で上演したらええやん、てことになっちゃうわな。



そんなわけで(?)今回、久しぶりに映画版を最初から最後までちゃんと観ました(コラ)

やっぱリタ・モレノ可愛い!

・・・いつもの感想ですいません。

でも今回初めてぐらいに気がついたのが(これまでぼんやり観すぎだったんだよ)、ラス・タンブリンの超絶運動神経。

特に、「JETS SONG」の前に「決闘の打ち合わせにトニーを呼ぼう」って言ってるシーンで、鉄柵にくるくるって上ってまた降りる一連の動きの軽やかなこと。

過去、ジョージ・チャキリスのイケメンっぷりにばっか目が行ってたので(だって、目行きますよ、こんな絶品イケメン)、やっと気づけました。すんませんでした。



舞台版と映画版の違いに関しては、今さらどうこう言うつもりはありません。曲順なんかに関しては(特に「COOL」と「GEE, OFFICER KRUPKE」が入れ替わってるところ)、ストーリー上も映画版の方が正しい気がするし。

ただほんというとぼく的には、本編が終わった後にエンディングロールが出る映画版は、ラストシーンの余韻が変に優しくクールダウンされちゃうので、好きじゃないんです。

映画のエンドクレジットって、最後まで観ないで席を立つ人が多いじゃないですか。

でも、ぼくはどんな映画でもこれ、音が消えるまで見ます。そういう習慣なんです。

しかも今回はコンサートですから、聴衆(つうか観客)全員が、エンドクレジットが完全に終わるまで立たないというルールだったので、それに従ったのですが、本音を言えば、このお話だけはラストシーンの悲しい余韻に浸っていたかったな。





一番大事なこと書くの忘れてた。

本日の演奏は東京フィルハーモニー交響楽団、指揮は佐渡裕氏でした。

佐渡さん、最後泣き顔だったな。

バーンスタインの名作をフルで振ったのだから、そりゃあ感無量だったでありましょう。


実は一番心配していたのが、「映像と音がズレる」ということだったのだが、そこは当然最初に配慮されていたことらしく、佐渡さんはスコア(これがまた映画版オリジナルは残ってなくて、耳コピで改めて書き起こしたらしい)と映像モニタを同時に視ながら指揮してました。

とはいえ、生演奏というものは多分にエモーショナルなもの。

自分の感性で「ここは伸ばす」とか「ここはテンポアップ」とかってことをできない(映像の“中の人”は合わせてくれないからね)演奏は、けっこうなストレスだったことでありましょう。

それが成功したことの安心感もあっての泣き顔だったのかもしれない。



しかし、技術の進歩ってすごいな。

サウンドトラックからオーケストラ部分だけを抜き出すとかとんでもないこともできるし。

何よりも、ぼくが生まれた年に封切られた映画を、こんなくっきりと美しい画質で観られるなんて。

「色あせない」って言葉が、比喩じゃなく、現実に起きてるんだもんな。

長生きって、ステキ(←何だその変な感想)


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