てくてくミーハー道場
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2012年03月31日(土) |
『幻蝶』(シアタークリエ) |
うっちー(内野聖陽)は、まじでカッコいい俳優である。
そんな思いが新たになった。
特に“イケメン俳優”という括りの人ではない(というより、どちらさんの評価でも、“顔<演技力”であろう)し、ぼくも特段彼がビジュアル重視の人とは思っていない。
例によってテレビドラマや映画などに出ていても、特に「視ようかな」と思うほど好きな俳優ってわけでもない。
だけど、ナマうっちー(?)を観てしまうと、そのたびに、
「なんと男前なんだこの人は!」
とデヘデヘさせられてしまう。そんな俳優である(ぼくにとって、このうっちーと近い位置にいる人はほかに、上川隆也くんとか、北村有起哉くんとか)
もちろん、“実力”あってのことだから、なんであるが。
今日も、もちろんその実力とカッコ良さ(つっても、うっちーが演じた戸塚保という男は、実にいい加減でふざけてばっかりで呑兵衛で偽悪なおっさんなんだけどね)に満たされた2時間15分でございました。
脚本の古沢良太氏は、ぼくも大好きな戯曲である『キサラギ』を書いたお方。
『キサラギ』はアイドルオタなら涙なくしては観られない芝居だが、この人は「他人には理解されないけど、とにかく“何か”に異常に打ち込んでいる人」を書くのが得意なのかもしれない。
でも、待って。だいたい“何か”に異常に打ち込まずに生きてる人なんて、いるのだろうか?
ぼくが異常なオタクだからそう思うのかな?
何にも打ち込まずに人生を終えるなんて・・・ねぇ?
まあでも、まじめな人だったら、「打ち込むにも、対象とか限度ってもんがあるだろ」とか言うのかな?
今回の主役の2人の男が打ち込んでいるのは(ネタバレにつき、略)
・・・まぁ、ネタバレになるほどのものでもないか。
昔から、オトコノコの趣味としては健全(?)な、「蝶々採集」でございます。
でも、その打ち込み方が、異常で。
そのおかげで家族崩(あっ、これはネタバレか/汗)
そして、今回のこのお話は、“男2人”のお話すなわちBUDDY(B・・・ナントカじゃないっすよ!)もの。
古今東西の、特に映画でたびたび取り上げられてきたテッパンの設定です。
バディものの典型は、最初は反発し合っていた二人が、一緒に旅したり、偶然に次ぐ偶然のせいで(ちっと毒)だんだん心通わせていくってパターン。今回もまぁそのまんま(なぜ毒?)だったのだが、最後はかの名作『真夜中のカーボーイ』を思わせる悲しい幕切れだった。
モチーフが“蝶”というあたりで、その儚さを象徴している感じはしたが。
ストリッパーのユカが、「胡蝶の夢」の話をしたりするので、あのシーン(ネタバレ禁のためかなり曖昧な書き方)も、
「ひょっとしてこれは、保が見ている夢の中の出来事なのだろうか。それとも、保の人生自体が、“幻の蝶=シロギフ”が見ている夢にすぎないのだろうか」
なんて考えてしまいました。
ちょっと、鼻の奥がツーンとくる、それでいてオセンチではない、古沢氏らしい脚本であったなぁ。
ぼくは単純に“泣ける”とかいう芝居、実にこのところ辟易としている(なぜなぜ毒?)ので、そういうモノではなかったところがすごく気に入りました。
うっちー以外の役者さんたちも皆よろしかったし。
でもやっぱ、うっちーの素敵さが一番の心の動力になってた気がするなぁ。
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