昼食に誰かを待つ日は
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2019年10月17日(木)

 この日記の冒頭にも出てくるメイ・サートンの『独り居の日記』(みすず書房)を今机に広げているなかで、あまりに共感できる言葉が綴られていたのでここに引用する。


 私にとっては、孤独な時間なしに人々と、あるいはただ一人の愛する人とさえ、長いこと一緒にいるということは、独りでいるよりなお悪いということだ。私は中心を失ってしまう。散り散りばらばらになったような気がする。


 このところ、誰かのそばから、慣れきってしまった場所から離れる必要があるのだと、そればかりを考えている。いざ実行に移すことはとても難しい。仕事を終えてこの部屋に戻ると、小さな部屋に机だけがあり、この場所ではうんと独りになれるので、独りの時間がないわけではない。けれども、もっとなにかから離れる必要がある。突き詰めてひとりになったときに感じるのは底のない寂しさと悲しさであることは、すでに過去経験しているが、そのとき考えたこと、みえたこと、書けたことは今以上に多く、自分という人間に向き合えた。そうして誰が必要なのかがよくわかった。
人がいるからこそ独りに憧れるのであって、望むのであって、ほんとうの独りぼっちであったなら逆にうんと人を求めるだろう。でも、昔から、ちいさなころから、周りにどんなに多くのひとがいたとしても何かとっかかりのようなものがあり、それに気がつくとすべてのひとたちが遠くに見え、そのなかにいると不安になった。自分は一体どこにいるのだろうか、ここでわたしは何を話しているのだろうか。
山形で、NHKに勤めている女の子と会って、話をした。彼女とは初対面であった。夜、木のしたで例のごとく誰の輪にも入れず酒を飲んでいるなか近づいて話しかけてくれたその彼女と、気がつけば手を握り合って話をしていた。
「わたしは、一時期自分が嘘の言葉でしか話していないことがあったんです。相手はそれでわかってくれるんですけど、そのとき、理解されたときが一番寂しかった。ほんとうの言葉じゃなかったから。それはでも、やめようと思ったんです。やめたら、周りのひとがわたしの言ってることを理解してくれないときもあるけれど。でも嘘の言葉で話すのはやっぱり不誠実だから。自分にとっても、相手にとっても」
彼女の話していることに強く共感する。なぜならわたしも同じ経験をしたことがあるからだ。ここでいう嘘とは、一般的な嘘(事実をすり替える)ではなく、”うまく話すようにしてしまう”、”相手に合わせて話してしまう”、”思ってもないことを話してしまう”ことなんだと思う。社会人になったからには、こう言ったことは少なくとも起こるし、誰もがしていることではある。要するに器用になってしまうことなのだろう。
 自分の言っていることを相手は理解した。けれども、きっとその相手はそこだけで納得し、終わってしまうのだろう。ああ、こんなことを話してなにになるのだろう、と思いながら口先からはベラベラとうまい言葉が出てきてしまう。そんな日には、早く家に帰って独りになる必要がある。紙に言葉を書き連ねる必要がある。
 彼女は、わたしの前では一生懸命に、言葉を連ねて、言葉を連ねて、誠実に話してくれたので、わたしも同じように、言葉をならべて、言葉をならべて、彼女と対話した。
 この時間はとても特別なものだった。彼女はいま、東京から離れた町でひとりで暮らしているそうだ。友達も誰もいない場所にいるのはとても寂しいと言っていたが、わたしはその話を聞きながらうらやましくて仕方がなかった。
分散してしまわないように、独りになる。人の記憶を忘れたくない、だから独りになる必要がある。人と人は簡単に離れてしまうし、簡単に変わってしまう。みるものも、聞くものも、知らぬ間に通り過ぎて行ってしまう。自分が立ち止まって、一度すべてを飲み込まなければ、なにもかもが分散して、散り散りになってしまう。それはとてもかなしいこと。そうして、とても耐えられない。耐えられない。

 


左岸 |MAIL