左岸の日記




2019年08月21日(水)

この数日間、自分のした行為が娯楽だったのか地獄を見る行為だったのか、単なる好奇心から湧いた戯れだったのか、それとも自分に課した拷問だったのか、もう何もかもがわからなかった。それ自体は、おそらくはたから見ると常識を逸した行為で、わたしの頭のネジもどこかへ飛んで行ってしまったようだった。何を確認したかったのだろう? 何を求めていた? 
苦しくて苦しいのに、笑ってしまう。笑っているのに、涙が止まらない。

感情を麻痺させて、とある人物と一緒にいるというのはおかしなことだろう。笑うところでないところで笑って、勝手に悲しむ。私は素直に、正直に、人と向き合い、愛したり、愛されたりということをしたかった。

ネジが外れ感情が麻痺した状態で、こんな壊れた状態で、ひとと一緒にいるのはおぞましいことだ。
そもそも「一緒にいる」というのは何なのだろう。
わたしの目の前で、たしかにふたりは「繋がっていた」が、それは「一緒にいる」ことより遥かに深いことだった。そうしてそれをあえてみることによって、わたしは何を確認したかったのだろう。こんなにも簡単に繋がれてしまうこと、そこには確実に、愛に似た何かが発生していた。
この手だけがどこにも触れてはいなかった。朝、この手だけが冷たく、忘れ去られ、触れられることもなかった。触れられることを拒み、すべてを恨んだ。朝の光が残酷で、それはわたしを正直にさせた。そういうものはこわい。こわいこわいこわい。だから逃げたくて、逃げたくて、忘れたかった。本当は望んでいなかったんだろう。馬鹿なことをした。

人を失う。このままでは人を失ってしまう、何より自分がいなくなる。
まともになったら、わたしは。

あなたを捨てるの。



いまのわたしは、まちがった私で、なるべき私にならなかったのだ。
まとった衣装がまちがっていたのだ。
別人とまちがわれたのに、否定しなかったので、自分を見失ったのだ。
後になって仮面をはずそうとしたが、そのときにはもう顔にはりついていた。


                      

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左岸