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2019年03月21日(木) 「自分」をかたち作るもの

( 前回の日記は 2019年3月15日付 「Web日記界華やかなりし頃」 です )

三月十七日付の讀賣新聞の家庭欄に、六十代の女性からの人生相談が載っていた。
息子は大学を二回留年した後、結局中退、二十代後半となった現在まで正社員になることなく、アルバイト生活である。国民健康保険料や携帯電話代も親が支払っており、将来が心配だ……とここまではよく聞く悩みだなと思いながら読んだのであるが、つづく文面に驚いた。
「占いでみてもらったら、息子には仕事運がまったくないと言われました。違う日に産み、違う名前をつけていれば、また違った人生があったと思うと、母親の私のせいなのだと悲しくなります。楽になるための心のもちようを教えてください」
人生相談欄を愛読していると、世の中にはいろいろな家庭がありさまざまな苦悩があることがよくわかるが、産んだ日やつけた名前がよくなかったから息子の人生がこんなになってしまった、全部私のせい、かあ……。
これほど非生産的な考えがあるだろうか。だって、いまさらどうしようもないことを原因だと断じてしまったら、一生「運に見放された不憫な息子」であり、彼の現状を変える余地はないということになる。まるで救いがないじゃないか。
誕生日や名前がアイデンティティの形成や将来に多大な影響を及ぼすことがあるとしたら、限られたケースだと思う。知人が恋人の親に初めて会ったときに生まれ年の話になり、「あなた、ヒノエウマ生まれなの?」と言われてドキッとしたという話を聞いたことがある。もしあのとき、「丙午の女」であることを理由に交際や結婚を許してもらえていなかったら、彼女は「もう一年早く(遅く)生まれたかった」と誕生日を恨めしく思うようになっていたかもしれない。名前にしても、もしそれが人格を左右する要素になるとしたら、先頃話題になった「王子様」のようなとんでもない名づけをされたためにコンプレックスを抱えて育ってきた場合くらいではないのだろうか。
人が「自分というもの」を確立していくプロセスに最も強く関与するのは環境である、と私は思っている。生まれてからこれまでどういう人達にどんなふうに育てられ、どんな教育を受けどんな経験をしてきたか。それが性格や人間性、価値観、能力といったものを形成し、将来にも大いに関係する、と。
だから、有名人の子どもが不祥事を起こすたび、家にお金はたくさんあるが親は留守がちだとか、小さい頃からちやほやされるだとか、お金目当てに寄ってくる輩や誘惑がいっぱいだとかという状況の中で、勘違いせず自分を見失わずにいるのは並大抵のことでないのだなあと思う。少し前に三田佳子さんや喜多嶋舞さんの息子が事件を起こしたことが報道されていたが、話半分に聞いても、その生い立ちでまっすぐ育てというほうが無理だろうと思ったものだ。
そして、相談者の息子の現状も、環境との相互作用の結果なのだ。環境の最たるものが「家族」だから、その意味で女性が「母親である私のせい」と言うのであれば否定はしないが、誕生日や名前にはなんの罪もない。

こんな私であるから、子どもの名づけの際に画数を調べてうんぬんはもちろんしていない。が、周囲には本やインターネットで画数から吉凶を調べ、運気のよい名前を探してつけたという人がとても多い。占いにはまるで縁のなさそうな男性まで、「本当はつけたい名前があったんだけど、『婚期が遅れる』って書いてあってあきらめた」と悔しそうに言うからびっくりしてしまう。姓名判断はまた別物のようだ。
別と言えば、私は占いはまったく気にしないのに、迷信や言い伝えの類は「ばかばかしい」と一蹴することができない。初めての場所に布団を敷くときは北はどちらか確かめるし、食堂などで茶碗にごはんをてんこ盛りにしている人がいたらドキッとする。「買った靴は明日の朝、玄関に並べなさい」と子どもに言い、雛人形は早めに片付け、茶柱が立つとうれしくなる。
「ごはんを残したら目がつぶれるよ」
「嘘をつく子はエンマ様に舌を抜かれちゃうんだよ」
信じているわけでもないのについ従ってしまうのは、幼い頃に祖母から聞かされた記憶と結びついているからかもしれない。


蓮見 |MAIL
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