パソコンがヤバイ。電源を切ると次に立ち上がらないことが増えてきた。だから電源を切るのが怖い。放電すると動くのだが、次はこの手も使えないのではないかと思うとひやひやする。放電してもダメで2回放電する(1回目の放電はなんだったのだろうか)ことも多く、パソコンを使おうと思ったときに動かないのは本当に恐ろしい。
そんなわけで電源を切ることをやめた。つまりずっと動いている状態。ずっと動いていて欲しいけれど、ずっとモニタが明るいのも何だしというわけで、久しぶりにスクリーンセーバーを使っている。なかなかきれいなものだよね。
でも、ちょっと待てよ。パソコンがずっとONになっている状態って電気代はどんな感じなんだろうか。来月の請求書を見てひっくり返ることにならないだろうか。別のひやひやが発生した。
なので、夜はモニタの電源だけOFFにしている。
私は今、ストレスマックスなのだ。ストレスってどんな時にストレスなのかというと、自分のペースで動けない時なんだと気付いた。結構体力のある私は、自分のペースで進められることには、結構無理が利く・・・と、思う。けれど誰かのフィールドで誰かのペースで動かなければいけないというのは限りなくストレスが積み上がる。
そうして、人のペースで動かなくてはいけない上に、気も遣わなくてはいけないとなると、日頃マイペースな暮らしをしているしっぺ返しなのか、もう叫び出したいくらいのヒドイ気分なのだ。
私は器の小さい人間だ。甘やかされて育ったし、頭も悪い。だからこういう泥沼状態の気分に陥ってしまう。そうだ、全部私が悪いんだ。「大人になるんだ!」と毎日言い聞かす。日に何度もカレンダーを見て、今日の進捗率を計算する。果てしなくて余計落ち込む。
早く終わりにしたい。産後の嫁がうちにいる。
2018年10月03日(水) |
日記:チョコフレーク |
チョコフレークが作るのやめるらしい。子どもの時は好きだったなぁ〜くらいのぼんやりした感想しか持てないでいるけど、食べることができなくなると思うとなんだか寂しいような気もする。
で、思い出したのがうちの食料庫的引き出しにはコーンフレークがあるってことだ。それも消費期限を結構前に過ぎたやつ。乾いてるし(←気持ちの問題)、たくさんあるし、もったいない・・・ということでなかなか処分できずにいたやつ。
「そうだ!チョコフレークを作ろう!」と、板チョコを一枚購入し、小さくして溶かしてコーンフレークをぶち込んで作ってみた。そして感じたのは製品としてのチョコフレークのクオリティ(←なんとなくカタカナ英語)の高さだ。あれは、美味しいよね。
自作品も不味くはなかったが、偽物感がぬぐえない。
人生は心配事の行列だ。手に負えない巨大なものから、指先で跳ねる微細なものまで。そして私の今一番の心配事は、もうすぐ産まれる孫の事ではなく?・・・PCの調子がイマイチな事だ。電源が入らない状況があって、放電というのをやって、どうも自動でスリープになってしまうと具合が悪いらしいので、そこは設定を変えたのだが、この先このまま使えるなら問題はないけれど、PCが弱っている証拠なら、これは由々しき問題なのだ。
で、久しぶりにPCについて色々調べてみたのだが、文字は読めても理解が追い付いていかない。知らない言葉がたくさん出てくるような気がする。「ふ〜ん、このぐらいで買えるのか」と思って、それでももう少しよさげな方向へと進むと、「え・・・こんなお値段になっちゃうの?」って事になってしまう。
最近、お仕事はお茶っ引きだし、PCにつぎ込んだお金が還ってくることはない。貯金を下ろして買うようなものだから、なかなか勇気がいるのだ。でもPCのない暮らしは・・・さみしい。
納得するまで考えるしかない・・・と、思う。
まぁ、疲れるよね、気持ちが。ドラ(息子)のお嫁さんがお腹のベビちゃんと共に我が家に滞在中。話が盛り上がっても盛り下がっても、とりあえず早く夜が来て心の中の日めくりを一枚めくる時が来ないかと、朝から思っているのだから。
うちのお嫁さんはお料理好きのお料理上手らしく(まだご馳走にはなってないのであくまでドラ(息子)の話から想像するしかないのだが・・・)、取り立てて料理上手というわけではない私はプレッシャー盛り盛りの日々。若い嫁に緊張する可愛そうな姑なのだ。
たぶん、お嫁さんの方が緊張して遠慮しているのだと思うのだが、年を取るばっかで人間のできていない私は、こっそり溜息をついている。昔で言うところの内孫が産まれるわけで、そこは楽しみじゃないのか?・・・と、言われても、ひねくれ者の私は「あったことないからわからん」と、心の中で毒を吐くのだ。
過ぎてしまえばあっという間のことでも、やっぱり一日は24時間。
|