時の経つのは速い。2016年がもう二ヶ月なくて、そして寒くなって、私の気持ちがあせる。年末の声が聞こえる。孫太郎がやってくると、私は日頃の120%ぐらいのパワーで動く。身体も脳の中の色々もハイパワーで動くのがわかるような気がする。で、焼き切れる(ような気がする)。
孫太郎は好奇心をむき出しに、歩きまわりはいまわり、目覚めている間は一瞬の空白も無く全身全力で成長している。人間ってこんな風に色々なモノに出会って、さわって(ついでに味わって)自分の中に取り込んでいくんだなぁ〜ととても新鮮だけれど、まさしく目が離せない状況に振り回されている。
孫太郎がやってくる日はそれでなくても時間が経つのが速い私の時計を、急速回転させてくれる。時間泥棒ってこいつのこと?・・・などと考えてしまう。そして一日おいてどっと疲れがやってくる。疲れた日はまた無為に時間が過ぎていき、年末が足音も無くすぐ後ろにたっている・・・ってことになるんだろうな。
それでも会いたい抱っこしたいという麻薬のようなあいつ。
「アルジャーノンに花束を」という本は時々ドラマ化されたりして、私の視野に入ってきて、「そうだ!読もう!」と思ったことが何度かあった。で、ドラ(子ども達)に聞くと、「それ読んだよ、どこかにあるはず」と言われ、だからと言って探してくれることも無く、探せるほど片付いた部屋でもなかったわけで、ずっと読まずにきた。
そんな本が、ドラ(息子)が出て行って、そのついでに大模様替え作戦を実行したせいで、ひょいと出てきたので読んだ。アルジャーノンがねずみであるということを知ったのは最近のことで、内容についてはそれ以外はぼんやりした事しかしらなかったのだけれど、題名がすべてを語っていた。
よく考えたら怖いお話なんだけど、後半主人公が一度手に入れ諸々を失っていく姿が、ひょっとしたら私もこれからこんな風な経験をするかもしれない・・・と思う事があって、そこは胸がチリチリしたのだった。
手に入れるより、手放すことの方が最近は多いような気がする。
ちょっと前まで、スポーツはやらず見ず・・・の私だったけど、最近はサッカーと女子バレーは見ているのだ。五輪は4年に一度のお祭りだから、話題に困らないように見るだけで、正直東京でやってようが、地球の裏側でやっていようがあまり関係ない。東京まで見に行くこともほぼないだろうし。
で、最近新しい競技場が絶対要るんだ!・・・と、声を上げている関係者達を見ていて、ちょっとこわいような気がするんだ。恥ずかしくない物を作るんだ!とか、後生まで誇れるような物を作るんだ!とか・・・。勇まし過ぎて鳥肌がたっちゃう。
莫大なお金がかかるのに、そのお金があれば保育所はいくつできるのかとか、つい思っちゃう。スポーツの力みたいなものはわかるけど、入れ物がすごくないと発揮できないとしたら、なんだかなぁ〜って思う。
東京の人は本当に心の底から五輪やりたかったの?
私はちゃんと受信料を払っているので、せっかくお金払ってるんだから、ちゃんと見ようと思ってわりとNHKをよく見てる方・・・だと思う。で、最近BSで朝ドラを見たあと、唐突に「ウルトラ重機」というのが始まるのだが、これがかなり素敵だ。
今度生まれ変わったら重機オペレーターになろうと思っている私は目が離せない。今朝は海上風力発電のあのでっかい風車を設置する、これまたでっかいクレーン船が出てきて、ほんの15分なんだけど、手に汗握る緊張の時間だったわけで。
めっちゃでかい仕事なのに繊細な作業で、そのギャップがたまらん・・・と、感動して見ていた。そしてこんな番組があるなんてたくさんの重機ファンがいるからに違いないとも思ったけど、こんな番組作っちゃうのはやっぱりNHKだからかな・・・とも思ったのだ。
やっぱり働く車は(今朝は船だったけど)素敵♪
台風が来るよ、来るよ・・・と、ずいぶん待ったような気がする。で、朝からビュービュー風が吹きまくり、ドシャドシャ雨が降りまくり、気がつくと東の方へ行ってしまいました。明日は台風一過の晴れかと思ったけど、そうでもないらしく、なんだかおうちが湿気ぽくて、やな感じなんだよね。
週に3回ほど孫太郎の顔を見て、ふにゃ〜となっているおばあさんの私が居た、この夏。今週は一度も会えないかも知れず、それはそれでさみしいような気もしないでもないのだが、嵐のように過ぎる今日この頃なので、ちょっとゆっくりできるかなぁ〜と、それはそれでほっとしている私なのです。
今年度、こっそりと還暦を迎える私は、全然目出度くも無くむしろ憂鬱で、やけに昔のあんな時、こんな時を思い出しては後悔に身をよじる・・・的な毎日。「後悔先に立たず」って、ずいぶん昔から知ってるけど、知ってるだけじゃ役に立たないんだと、この年になって気付く愚かさにもう驚くしかない、そんな日々です。
そろそろ遺影を考えなきゃ・・・
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