あけましておめでたい…のだろう。いつだってどんな時だって、誰が死んでも何があっても新しい年はやってくる。昨日と同じ24時間でも今日はおめでたい一年で最初の日。
「親が死に子が死に孫が死に」という言葉があって、これは意外や意外、おめでたい言葉らしく、この世で一番の不幸は逆縁(親より子が先に死ぬこと)であって、順序よく死んでいけたら十分幸せということらしい。
確かに、たとえ不慮の事故に遭わなくても、自分も年を取って予想外の病気になるかもしれず、そうこうするうちに親より先にあの世を見るかもしれず、そうなると親の嘆きは想像を絶するわけで、父ちゃんとのさようならはドラ(娘)の嫁入りと同じくらいの「肩の荷を下ろす」感じがあったことは否定できない。
年を取るってなんだかたいへんだ。
想像を超えた速さで時は過ぎ、あっという間に大晦日がやってきた。なんやかんや、あれやこれやなんとか都合をつけ、いつもと同じことやってる私がいる。今日は一日台所の囚われ人だ。
そして戸棚を開けた拍子にポットを見つけると、これで父ちゃんにコーヒーを運んだことを思い出し、緑と白のプラスチックのコップは二人でそのコーヒーを飲んだ記憶が刻まれている。
季節を違えず花を咲かせる鉢植えを見て義姉さまを思い出すように、コーヒーを飲む度、あんこたっぷりの和菓子の見る度、私は父ちゃんを思い出す。そして、たねやの最中を見る度に、自分の分なのに私にくれた最年長の、父ちゃんと同じ年の友人を思い出す。
私は優しい人に囲まれて生きてきた。
昨夜突然の電話で、友人が亡くなったことを知った。友人というのはちょっと失礼かもしれない。父ちゃんと同じ年で私の友人の中では最年長だ。とてもいい人。和裁教室で入口に一番近い席にいる私が何気なくいう「おはようございます。」をとても気に入って下さった。
お茶の時間に出たたねやのモナカを、私が「うちのドラ(娘)が好きだから持って帰ろうっと」…と言ったら、自分のを下さった。その時のいたずらっ子のような笑顔。優しい人だった。
私は何もしてあげられなかった。これからしてあげられることなんて何も無い。たまに思い出すことだけ。無力だよね。
せめて忘れないでいようと心から思う。
父ちゃんはどこか遠くで自由にやっていると思うことにした私なんだけど、1つさみしいことがある。父ちゃんが私を呼ぶ時、時々「○○ちゃん」と呼ぶ時があって、それは名前とは何のつながりもなく、たぶんまだ幼子だった私をふざけて呼ぶための名前だったと思うのだが、私はこの呼ばれ方が大好きだった。
世界で一人だけこの名前で呼んでくれた父ちゃん。私の作るケーキが世界で一番美味しいと言ってくれた父ちゃん。たぶん、どの孫よりこんなおばさんになってしまった私を一番可愛いと思ってくれていた父ちゃん。
ほんの一月前に私の手を握って、「やさしい手」と言ってくれた父ちゃん。「○○は父ちゃんに似てるから」と言った父ちゃん。きっと似ているね、親子だものね。「ありがとう」何万回言っても足りない。
もう一度呼んで欲しい。
私の父ちゃんが静かに眠りについて色々分かったことがある。そのひとつに人って一方向からみただけではわからないってこと。故人を偲んで…というほどでもないにせよ、父ちゃんが亡くなって「そういえば…」的な展開で弟嫁なんかと話をすると、色々新しい父ちゃんの一面が見えておもしろかった。
私に見せる面と、嫁に見せる面は違う。当然妻であるかーちゃんに見せる面も違うんだろうな。話をしていて「え?」っと思うことや、「へぇ〜」と思うこともあった。ちょっとだけ「それは違うやろ、私の見た父ちゃんが正しい」と思いかけて、やめた。
たぶん、どの父ちゃんも正しい父ちゃんなんだね。ここで大切なのは誰かの見た父ちゃんが私の父ちゃんと違っていても、「私の見た父ちゃんが本家だ!」と言い張ることは正しいことではないってこと。
またほんの少し大人になった。
|