昨日、お骨揚げの時、父ちゃんの足の骨、それも膝の関節の骨がとても白くてとても大きくて立派で、それが哀しかった。私はけっこう何度もお骨揚げに立ち会っていて、人によってはとても少なかったり華奢だったりを見ているのだけど、父ちゃんの骨は立派だった。
父ちゃんはパーキンソン病で、薬が切れると糸の切れたマリオネットみたく、身体が不自由になった。施設に入ってからはずっと車椅子だったし、手もだんだん動かなくって、とても器用だった父ちゃんの手はとても可哀想だった。
そんな父ちゃんの骨は、病気じゃなかったらきっとまだまだしっかり動いていたんだろうな…と思うとほんとうに哀しかった。病気がとても憎い。
天国というところが本当にあるなら、父ちゃんは大好きなコーヒーを片手にタンゴを聴きながら、もう一方のてはトントンとリズムを取っているだろうな。
そして…、告別式となったわけで。「長いお経はいらない」という父ちゃんの言葉に反して長かったお経の間、私が考えていたのは「あれもこれもしてあげればよかった」ってことで、長いお経は退屈だけどこのお経が終わると…と思うと苦しかった。
「墓に布団はかけられぬ」という言葉があるけれど、まさしくこの通りのことをずっと考えていて、そして思った。私も一応親だけど、自分の子どもに何かして欲しいと思っているかな?…ってこと。「否」。たぶん、うちのドラ(息子&娘)が私の為のお経を聞きながら、私と同じ事を考えたなら、きっと私は言いたいだろうと思う。
「いてくれた…それだけで十分だ」と。きっと父ちゃんも言うのに違いないと確信を持って言える。
さかのぼってこれを書いているわけだが、この前日記を書いたのが23日で、ということは22日の深夜に更新していたのだと思うのだが・・・。そうしてつまりこの日記の日付24日には私の父ちゃんの通夜が行われたのだった、あれほど、「お正月は越えてくれ!」と思ったにもかかわらず。
23日、予定通り面会に行く予定だった私に弟から電話があったのはお昼頃のことで、急がなくては!…ということで車で出発した私に待ち受けていたのは事故渋滞で、そこにまた電話がかかってきて、「間に合わないと思ってくれ」といわれた。
それから安全運転を言い聞かせながら、それでも一心にただひたすらに車を走らせて、そして病室までの階段を一気に駆け上がり飛び込んだ病室で父ちゃんは待っていた。待っていてくれたんだんね。ドラマチックに待っていてくれたんだね。
そうして20分後に永久のさよならをしたんだ。
年末であるな。お掃除しなくちゃ…と、いつもの年なら言ってたり書いていたりするのだけど、今年はちょっと違う。父ちゃんがよくいう「予断を許さない状態」なわけで、そわそわぞわぞわしている今日この頃、「出来る事は今やる!」というまったく私に似つかわしくない状況に追い込まれて、実にけなげな主婦である。
今日は年賀状の印刷を終わらせた。あとは二、三行ちょこちょこ書いてポストへぽいっとすれば完了。ひょっとしたら年賀状はいらないかも?…と思っていたけど、いらなくないかもしれない…ので、とりあえず出したもん勝ち…的な感じで平成25年の年賀状はとっても「やっつけ仕事」だ。
あとは棒だらは水につけてもいいのか、悪いのか…。餅米はいつも通り洗っていいのか、悪いのか…。
父ちゃん、お正月を越えてくれ!…と切に願う。
そんなこんなでうちのドラ(娘)の挙式&披露宴も無事終わったのだけど、結婚式場って言うのは、裏はどうだかわからないけど、働く場所としてはなかなかいいんじゃないのか?・・・と思ったのだ。
「お世話になってます」「ありがとうございます」「よろしくお願いします」の3つの台詞をどんだけ言ったことだろう。たぶん一生分を使い果たしたと思われる。だれもが『今日は佳き日だから・・・』と思っているものだから、ニコニコとみんないい人になっているわけで、スタッフさんもみんな「幸せになって〜オーラ」を吹き出しているわけで・・・。
そんな場所では些細な間違いや失敗はなかったことにして、み〜んなハイテンション。キラキラの職場はなかなか素敵だと、花嫁の母であるところの私はそんな事を考えていた一日だった。
寂しさ絶好調!
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