世の中がどこからどこまでも「金環日食」で盛り上がっていたにもかかわらず、バタバタしているうちになんだか終わっていて、えらく損したような、どうでもいいような、ま、三日もすれば忘れるな…とか思いつつ今日は火曜日。
昨日の朝、風が強く吹いていて、その音を聞きながら思ったのが、ずいぶんと昔々大昔の出来事。たぶん私は小学生で、どんな日食だったのか忘れたけど、校庭でみんなで見ることがあった。予めすすガラスを作って…これってまったく効果がなくて、今回の日食情報では絶対に使わないようにとか言ってたけどね…校庭に座ってみんなと待っていると、だんだん薄暗くなって、風が強く吹いた。
日食の意味がわからなかった大昔の人が感じた不安みたいなものを、まだ子どもだった私は感じていたのかも。そんなこんなで日食そのものより、吹く風に遠い昔を思い出していた私です。
久しぶりにお仕事をした。エクセルでたくさん表を作る仕事。急な依頼で中身を聞いて、全部引き受けてもできるかもしれない…と、思ったのだけど、そこで私の頭の中に浮かんだのは、誰かと半分こしたら、誰かがちょっとうれしくなるかも…ということだった。
最近全然仕事がこなくて、閑古鳥が「かぁ〜」って感じの毎日。これはたぶん私だけでなく、他の人もそうなんだろうなぁ〜と、勝手に思っている私。一つの仕事を分けてするより、一人でやった方がまとまりがあっていいのだけど、がんばって引き受けて、納期に間に合わなくて「ひぃ〜」となるのは私の主義ではないし、誰かの所に半分行ってその誰かも「わぁ〜久しぶりの仕事だ♪」と、ちょっぴりうれしくなってるかもしれないって事を想像する自分が好きなんだな、きっと。
こうやって書いてみるとわかることがある。
身の丈と身の程…似てるけど違う。「身の丈に合った生活をする」…だと、なんだかいい意味。控え目に堅実に生きてる感じがして、贅沢があまり歓迎されないこの頃だと、よい言葉。「身の程知らず」…だと、自分の実力や能力を顧みず、無謀な挑戦をやらかした…みたいな、なんだか哀しいにおいがする。
自己評価が低いと生きているのが楽しくないかもしれない。でも、どうやら私は自己評価が高かったみたいで、自分のやったことに対して、もう少しなんというか、「見返り」的なものが欲しいらしい。
けれど、自他共に認める極楽トンボな暮らしを長くしてきて、誰かに誉めてもらうほどの成果も出せず、誰かに労ってもらうような苦労もやってない。
身の程を顧みて、身の丈にあった自己評価。
英会話教材が来て、○日間お試しCDっちゅうのを聞いてみた。英文はほんのほんのちょびっとであとは、ひたすらいいとこアピール。こんなの○日間も聞いていたら英語はどうかわからんけど、宣伝文句は全部覚えてしまいそう。
一応お試しCDを聞いて、返品しない覚悟で製品を開封することになっているのだけど、お試しCDが適当すぎて笑えた。で、ちょこっとテキストを覗いてみたら、想像以上に簡単そう。こんなんで英語が上手になるのか?…と、思ったのだけど、「ちょっと待て!このレベルでも、いざ外人さんの前に出たらあうあうになるのに、何様だい?」…と我が英語力を冷静に分析。
ドラ(娘)と話していて判ったことがあった。私達の世代って英語はやったけど、英会話はやってない。会話特有の言い回し・・・知らないぞ!言えないぞ!・・・というわけで、とりあえずうちのドラ(娘)レベルになるのを目標にすることにした。
出費に値する結果がでるのか?心配。
久しぶりにお友達と2人でランチ。お互いに年老いた親がいるので、そしてさっさと家から出したい息子がいるので、話はとっても盛り上がる。で、結局「年を取るのはなかなか大変だねぇ〜」というところに落ち着く。
可愛いおばあちゃんになるのは結構難しい。なるだけ控え目ないいおばあちゃんになりたい。そうしてもう一つ盛り上がったのが、ある年齢までたどり着いたら、健康診断を受けるのはやめよう…という話。
そのまま健康で自分の事はそこそこ出来る状態で生きていくならそれはそれ。でも、ちょっと身体の具合が悪いからと医者に行くのはやめとこう。なるだけ「手遅れ」な状態になってから病院いって、そのまま枯れていきたい。
暗い話なんだけど、気持ちよく盛り上がった。
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