さくらぁ〜さくらぁ〜♪…と、ついつい森山直太朗気分で歌ってしまうほどのさくらさくら。でも寒い。春だから〜♪…と薄着で出かけようと思っても、春なのにぃ〜…と、柏原よしえな感じで歌ってしまうほど、寒い。おそるおそるモコモコダウンで出かけて、他にも冬服姿の人を見かけてほっとする、小心者。
この時期、年によって寒い時もあれば暑い時もあって、暑いとさくらも大急ぎで咲いて、大急ぎで散っていく感じだけど、寒いと「もういいかい?ま〜だだよ」とか言いながら少しずつ咲いていく感じ。とっても寒い今年だけど、それでも今日は昨日に比べて「もういいよぉ〜」のかけ声がかかったみたい。
「まだか、まだか」と待ちかねたさくらを、「もう行くのか?」…と、名残惜しく見送る時までは、いっぱい楽しませてもらおうっと。
銀行においてある封筒、あの銀行名が書いてある封筒…は不思議だ。空っぽだとわかっていても、なんだか中身(お金)が入っているような気がする。入っているような気がするので、そのままくちゃくちゃっと捨てられない。必ず中身を確認する。それだけでは足りなくて、捨てる時は必ず破って捨てる。
破りながら「もし中身が入っていたら、お札は丈夫だからなかなか破れないはず…」と考えている私がいる。さっき空なのを確認したのに。なんてせこい…というか用心深い…というよりやっぱりせこい。
ごくたまにその辺を整理すると、デパートやお菓子屋さんの袋に紛れて、あんな銀行やこんな銀行の袋が幾つも出てくる時がある。なんでもため込む性分は袋だって例外なし。
そのたびに中を確認しつつ破りつつひょっとして現金が出てきやしないかとと期待する。
初めてお金を使ったのは何時のことだったかしら。お使いに行った時?かーちゃんと一緒にお買い物に行った時?自分の手からお店の人にお金が渡って、かわりに何か品物が手渡される時、私は何を思ったかしら。
自分で稼いだお金を使った時、どんな風に考えたのかしら。もったいない…とか、やっと買える!…とか、きっとちょっと誇らしかったのに違いないと思うの。自分の手で得たお金を自分の意志で、自分の欲しいモノを買う。素敵なこと。何時だってワクワクするじゃない?
そうやって子どもから大人になって、多かれ少なかれ、そして自由度が多少変動しても、お金はいつもそばにあった。そんなお金を取り上げてしまうんだね。とーちゃんがホームに入居するにあたって、現金は持って行けない。
娘に小遣いを手渡すこともできないんだね。
車に乗って交差点で、黄色になったので止まるしかないべ…と思っていたら、前の車が右折ウィンカーをチカチカさせながら、進んでいくので、『まぁ右折だから行くよね』と見送っていたら、ぐぅ〜んと加速して直進していった。
「ひえぇぇぇぇぇ〜すご〜い」…と感心したけど、対向車線の右折車はどんだけびっくりしたことでしょう。お互い右折すると思っているのに突っ込んでくる黒い軽自動車。そして事故もなんも起きずに交差点は強い風が吹き抜けていきましたとさ。
でも、こんな時、間違っている車(…の運転手)は意外と強気で「そこどけ!そこどけ!」気分だけど、正しい車(…の運転手)はたぶん寿命が3分程縮んだに違いなくて、なんだかとても不公平だと思う私でありました。
時々ワンダーランドへお出かけなさる父ちゃんが、いよいよホームに入居することになって、順番待ちがスゴイ!…とか聞いていたにもかかわらず、すんなり決まって、よかったのか、哀しいのか、とりあえず老老介護の日々から解放される母ちゃんにとっては「やれやれ」な感じで、そこんとこだけに目を向けて「良かった…(んだ、きっと)」と思うしかないよね。
でも、ホームでの生活はなかなか大変そうで、色々イベントとかお楽しみ会とか企画されているようで、それだけ見てると「なんだか楽しそう」と、思えなくもないけど「自由」は全然なくて、甘い物が大好きなのに、好きな時に好きなモノを食べる…ってことが出来ないらしい。
考えられた食事を摂り、清潔なベッドで眠り、優しい人達に助けられて生きていく。時々懐かしい(又は忘れてしまった)人達が訪れ、朝が来て日が暮れる。ホーム(家)なんだけどちょっと違うような・・・。
必要なのは「悟り」かもしれないね。
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